どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

誘惑とは

先日、娘(ゆきまる・4歳)に唐突に尋ねられました。

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ぶた子「ふぇっ?!どこで教えてもらったのそんな言葉。」
予想だにしなかった質問に母はやや動揺しました。
ぶた子「誘惑っていうのはね、『悪いことをしよう』っていう誘いをかけられることだよ。」
ゆきまる「悪いことってなに?にくまる(弟・1歳)にぼうりょくふるうとか、おかあさんに悪いことばつかうとかならわかるけど?」
ぶた子「そうだね、人に暴力を振るうのもそうだし、あとは例えば物を盗んだりするのも悪いことだね。
もし誰かがゆきまるに、『あのお店のパン、お金を払わないで取ってこよう。誰も見てないから気づかれないよ。』って言ったらどうする?」
ゆきまる「お店の人かわいそうだから取ってきたらだめだよ!」
ぶた子「そうだよね。お金を払ってもらわないとお店の人は困るよね。それに、誰も見てないからいいっていうことはないよね。
誰かが見ているとか見ていないとかは関係なく、自分でしてはいけないって考えてやめないといけないよね。」
ゆきまる「ゆきまるちゃんと自分で考えて、悪いことしないからね!ぜったいにしないからね!」
 
・・・後日、娘ゆきまるの参観日。
ついこの前まで赤ちゃんだった娘が静かに椅子に座ってじっとしている姿や、お友達と元気に歌をうたっている姿を見ていると、胸にこみ上げるものがありました。生まれてからたったの4年でここまで成長するのかと改めて驚くとともに、自分は4年前と比較して新しくできるようになったことが特にない一方で、できることがどんどん増えていく娘のことをうらやましく思いました。
子どもというのは可能性のかたまりです。
 
参観日で一番印象的だったのは、実は歌でも踊りでもなく、子どもたちのお祈りでした。キリスト教系の幼稚園なので神様へのお祈りをするのです。
みんな目を閉じて手を合わせ、迷いのない大きな声でお祈りしていました。
 
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
 
なるほど、「誘惑」という言葉はこのお祈りで覚えたのね。
 
まだ白か黒かでしか物事を考えられない子どもたち。
大人になると、誘惑される場面がたくさんあるんだよ。そういうときは大抵白でも黒でもないグレーのところで迷って、そして最終的に誘惑に負けてしまうケースがけっこう多いんだよ。
神様が見ているからいけない、お天道様が見ているからいけない、自分の中のモラルが許さないからいけない、どれでもいいけれど、グレーのところで平常心を失いかけた時に自分を律して守ってくれるものを大きくなるまでに見つけてほしいと思いました。
 

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神様、どうかゆきまるが誘惑に打ち勝つことのできる人になれますように。
…ということを、キリスト教徒ではない私は八百万の神に祈っておきました。
 
 

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