経験と想像力
息子にくまる(1歳)を連れて外出すると、お年寄りが必ず声をかけてくれます。
もう、とにもかくにも愛想のいい子なのです。おまけに、名前が「にくまる」なだけあってちょっとふくよか。
全身むっちむちで、ムダ毛や吹き出物なしのトゥルントゥルン。特にほっぺに関しては、この世にこれ以上触り心地の良いものはあるだろうかと思えるような感触です。
今日も用事があってにくまると出かけたのですが、バス停でおばあさんが話しかけてくれました。
「あら可愛いねぇ、いくつ?」から始まり、「私も子ども育てたし(+孫も面倒見たから、が付け足されることも多。)、昔が懐かしいわ」というところまでは大体どのおばあさんも同じ流れで話が進むのですが、今日の方はこう言いました。
「あなたちゃんと子育てして偉いわね。やっぱり子どもを持たないと人間成長できないわよ。」
ここでちょっとイラッとしてしまいました(超短気です)。ですが、私もいい大人です。笑顔で尋ねました。
「何故そう思うんですか?」
「あのね、子どもを育てることで自分も成長した部分があるから。」
「そういう面はありますね。でもまあ、それを子どもを持たない人に言うというのはちょっとできないですね。」
おばあさんがなにか言いかけたところでバスが来てしまい、話は途中で打ち切られました。
バスの中からずっと考えているのですが、
①自分は子どもを育てることで成長した部分がある。
②人間は子どもを持たないと成長できない。
これらは論理的につながっていないと思います。
①については正直わかりません。ただ、ご本人がそう感じたということ自体は否定するつもりはありません。
②については言うまでもなく一方的で乱暴な決めつけだと思います。
ここで自分自身を振り返ってみると、子どもを育てたことで、子どもがいなかったときにわからなかったことがわかるようになったという面は確かにあります。
たとえば私は小さな子どもが苦手で、理由の一つに「公の場でわめきちらすのがうるさいから」というのがあったのですが、独身時代や結婚後まだ子どものいないときは「母親は自分の子どもが騒いだら100%静かにさせることができる」と思っていたんですね。そして自分が母親の立場になった時に、なんというひどい思い込みだったのだろうと恥ずかしくなりました。
しかし、実際に子どもを育ててみるまでこれに気づけなかったのは、私自身の知識や想像力が足りなかったからだと思うのです。
つまり、子どもという生き物は大人の言いなりになるばかりではないという知識やそれを想像する力があれば、自分が実際に子どもを持たずとも「母親が子どもを静かにさせることができない場面があること」をイメージできたのではないか、そんな風に思います。
当たり前ですが、子どもがいても成長しない人はしないでしょうし、子どもがいなくても成長する人はすると思います。子どもを持ったからこそ知ることができることもあれば、子どもを持たなかったからこそ知ることができることもあるのでしょう。
いろいろな生き方があることを認めた上で、自分が経験しなかった生き方から想像力で何かを学び取ることができれば、自分の人生はもっと豊かになるような気がした一日でした。