並々ならぬ思い入れがある曲の話・その参(完結)
既に2回にもわたり、『虹と雪のバラード』について熱く語っております。
前々回・前回は話がいろいろ脱線してしまいました。今日やっと歌詞の解釈について話ができます。
詩の構造は、1番2番ともに前半でオリンピックそのものと開催地サッポロの様子を、後半でオリンピックに対して人々が抱く気持ちをそれぞれ描写しているものと思われます。時間の流れとしては1番はオリンピック前~最中、2番はオリンピック後となっています。
それでは弟による歌詞の解釈を書いてみます。(すこしだけ加筆しました。)
1番
“虹の地平を 歩み出て 影たちが近づく 手をとりあって”
地平線の向こうに広がる世界中から人々が来訪する。
世界中の人々が選手・観客として争うことなく集まり、オリンピックを支えるべく力を合わせている。
(五輪マークは五大陸の象徴と言われていることから、「虹の地平」=地平線の向こうに広がる世界各国。オリンピックが平和とスポーツの祭典とされていることから、「手をとりあって」は人々が互いに争うことのない様子を表す。「影たち」=選手でもあり、観客でもある。)
“町ができる 美しい町が”
交通手段といえば路面電車かバスしかなかったのが、オリンピック開催に目掛けて地下鉄が開通。また、地下街の建設も完了したことにより札幌市街の近代化が一気に進んだ。
“あふれる旗 叫び そして唄”
この町できっと人々がオリンピックに熱中するだろう。
“ぼくらは呼ぶ”
“あふれる夢に”
「ぼくら」=人々、その中でも特に札幌に住む人たち。「あふれる夢」とは、まだ見ぬオリンピックに対して人々が抱いている期待や希望。
“あの星たちのあいだに”
星は希望の光、つまり夢と希望のメタファー。「星たちのあいだ」=希望に満ち溢れた未来がすぐそこに来ていることを表現している。
“眠っている北の空に”
眠っているのは札幌。札幌にはまだ朝が来ていない。オリンピックの開催に伴って目覚める=オリンピックがもたらすであろう希望の光を朝日に喩えている。
“きみの名を呼ぶ オリンピックと”
人々が夢や希望を抱きながら「きみ」=オリンピックに親しみを持って呼びかける様子を比喩を用いて表現している。
(“ぼくらは呼ぶ、きみの名を呼ぶ、オリンピックと”という文章を、“あふれる夢に”“あの星たちのあいだに”“眠っている北の空に”という3つの要素が修飾していると考えました。)
2番
“雪の炎に ゆらめいて 影たちが飛び去る ナイフのように”
地吹雪の吹きすさぶ2月、オリンピックが閉幕すると、夢と現をナイフで切り分けるかのように人々がオリンピックに熱中していた白昼夢から覚めて現実へと帰っていく。世界中から集まっていた人々は、あっという間に自分たちの国へと帰っていく。
(「雪の炎」=地吹雪。)
“空が残る 真っ青な空が”
あれほど人々が待ち焦がれていたオリンピックは終わってしまい、札幌の街にはただ真っ青な美しい空だけが残されている。
“あれは夢?力?それとも恋”
オリンピックは夢だったのか、街の発展をもたらす力(の源)だったのだろうか。それとも、あれほどまでに一心不乱に熱狂することができるのはもはや恋であったといえるのではないか。
“ぼくらは書く”
“いのちのかぎり”
(※“きみの名を書く オリンピックと”と一緒に最後に説明します)
“いま太陽の真下に”
太陽が真上に来た=もう昼になった、すなわち夜が明けて新しい時代が来た今、名を書く。(1番の、北の空は眠っている=夜が明けていないとの対比。)
“生まれかわる サッポロの地に”
オリンピック開催を機に文字通り生まれ変わりつつある「サッポロ」(国際都市としての新しい顔を強調するために敢えて漢字ではなくカタカナ表記にしたのでは)の地にオリンピックという名を刻みこむ。
“きみの名を書く オリンピックと”(※“いのちのかぎり”と合わせてここで説明します。)
オリンピック開催をただのイベントで終わらせず、生きている間は全力で(=“いのちのかぎり”)札幌の歴史に刻み込もう。これからの札幌の発展や新しい時代を待っているだけではなく、自分たちで新時代を築いていくのだという決意。
(当時の人は未来に希望を抱くだけでなく、自ら素敵な未来を開拓するという使命感もあったのではないか。)
(“ぼくらは書く、きみの名を書く、オリンピックと”という文章を、“いのちのかぎり”“いま太陽の真下に”“生まれかわる サッポロの地に”という3つの要素が修飾していると考えました。)
以上です。長くなってしまいました。
高度経済成長期という、人々の心が今と異なり前向きだった時代、誰もが明日は今日より良い日になると信じて疑わなかった時代に作られた素晴らしい歌です。ぜひ聴いてみてください。
こちらはオリンピックのちょうど1年前、NHKの『みんなのうた』で放送されていたバージョンです。
今回は弟にすべて持っていかれました…。現代文苦手だったんじゃなかったのかー!!
並々ならぬ思い入れがある曲の話・その弐
前回の記事で熱く語ってしまった『虹と雪のバラード』の思い出。
小学校に入学した6歳の頃から卒業まで何かあるたびに歌わされていたこの曲ですが、歌詞の意味を考えたことはあまりありませんでした。子どもの頃って単純記憶が優れていて、言葉の意味や言葉同士のつながりを考えずに丸暗記するのが苦ではないんですね。しかもこれを覚えた当時はまだまだ語彙も少ないものですから、意味がわかる部分とわからない部分がある状態のまま呪文のように歌っていた記憶があります。
果たしてこの曲は一体どんなことを言っているのか?
あの頃から25年以上が経って全体の意味がわかるようになった(と思われる)今、初めて気になりました。そこでこれを機に改めて考察してみよう…というのが今回の試みです。
まず、『虹と雪のバラード』というタイトルから見てみます。
ここに出てくる「虹」と「雪」という単語、これらはそれぞれ1番の冒頭と2番の冒頭に出てきます。
“虹の地平を 歩み出て”(1番)
“雪の炎に ゆらめいて”(2番)
変にひねっていない素直な曲名なのですね。
それでは歌詞の解釈に入ります。
記事冒頭で「歌詞の意味をあまり考えずに歌っていた」と書きましたが、それでも一箇所だけ昔からどうしても気になる部分がありました。それがこちら(下線部)です。
“ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちのあいだに
眠っている北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと”(1番サビ)
ここ、実際に歌うと「きみのなをーよぶーオリーンピーックとおーーー」となります。
この歌を教えられた直後は、実は「きみの名を呼ぶ オリンピック塔」だと思っていました。
「きみ」というのは恋人なのか友だちなのか家族なのかわかりませんが、特定の誰かというよりは「大切な人」という抽象的な存在。その「きみ」の名前を「オリンピック塔」で呼ぶのです。当時おじいちゃんがよく連れて行ってくれた公園に「百年記念塔」という建築物があったことや、札幌市のシンボルが「テレビ塔」であることから、オリンピックを記念して建立された「オリンピック塔」なるものがあり、そこで「きみ」の名前を呼ぶのかと思っていたのです。山頂から誰かの名前を大声で叫ぶ要領で。
しかし、文字を勉強して初めて歌詞を見た時、衝撃を受けました。
“きみの名を呼ぶ オリンピックと”
塔じゃない。
そこで次に思いついたのは、「と」を英語のwith=「~と一緒に」の意味で使っているという解釈でした。オリンピックを擬人化して、オリンピック「と一緒に」(=with)きみの名を呼ぶ、という意味に捉えたのです。「おい、きみもここへ来いよ!オリンピックと一緒に待ってるぜ!!」というような感じです。これだと文章としてはそこまでおかしくならないのでこのイメージで30歳過ぎまで歌い続けてきたのですが、1年すこし前に何気なく口ずさんだときにちょっとした違和感を覚えました。そして歌詞を読み直してふと思ったのです。
あれ、これってもしかして、
きみ=オリンピックなんじゃないの?
諸説あるかもしれませんが、今はこの解釈が正解なのではと思っています。
この部分が一見するとわかりにくいのは倒置法が使われているからで、その部分を普通の順序に直してわかりやすくしてみると、
「オリンピック」、と君の名を呼ぶ
となるのではないでしょうか。
…と、ここまで考えたところでこの解釈でいいかどうか弟にLINEして意見を求めてみました。
弟は私と同じ小学校に通い、同じく6年間この曲を歌わされ踊らされてきた30男です。私と真逆のバリバリ理系タイプなので歌詞の解釈なんて興味がないといって既読スルーされるだろうか…そう思っていたそのとき、返信が来ました。めっちゃ長文。さっそく読みます。
…なん、だと…?
国語は苦手だろうと見くびっていた弟による歌詞の解釈は次の記事にて。
図解、1が「オリンピック塔」説、2が「withオリンピック」説。
並々ならぬ思い入れがある曲の話・その壱
昨日はオリジナル・ラブファン、田島貴男ファンが待ちに待った田島dayでした!
まず、NHKのあさイチに弾き語りで出演されたのです。生放送です!そして夜22時からはBSのcovers fesに。こちらは収録で、会場となったNHKホールに観に行かれたTwitterの知り合いの方が収録後に感動と興奮のツイートを投稿されていたので楽しみに待っていました。
オリジナル・ラブを好きになってから田島貴男さんがテレビで歌っている姿を観るのは初めてです。そのため、興奮するというかハラハラするというか不思議な心境でした。「おおーこないだ至近距離で見た人がテレビに出てるわー!」という感じです。
あさイチもcoversも録画したものを観たのですが、いずれもとっても素敵でした!どちらか、あるいは両方の番組を観て田島貴男さんに興味を持つ人が出てきたらうれしいなあと思います。Twitterのタイムラインはたじまん仲間さんたちの歓喜のツイートで一日中賑やかでした。
このふたつの番組で田島貴男さんが歌われた曲や演奏については後日録画を再度じっくり見直してから書くことにして…
covers fesで一番印象的だった曲について書こうと思います。
それは、クレイジーケンバンドが番組の一番最後に演奏した『虹と雪のバラード』です。
私の通っていた小学校は、今から45年前に札幌オリンピックが開催された際、選手村でプレスセンター等として活躍した建物を再利用したものでした。
その縁で校章は札幌オリンピックのマークをもとに作られていたり、何かあるとすぐに『虹と雪のバラード』を歌わされたりしていましたし、毎年5月の最終日曜日に開催される運動会ではオリンピックを再現するかのような行進とダンスに全校生徒が取り組む「全体表現」が行われるのが伝統でした。
この「全体表現」、実際に札幌オリンピックの行進曲として作曲された『白銀の栄光』という曲に合わせてグランドを行進し、それが終わると今度は『虹と雪のバラード』を行進曲にアレンジした『虹と雪』(こちらもオリンピックの行進時に使われたそうです)に合わせてダンスを始めるという二部構成になっていたのですが、1・2年生は簡単な振り付け、3・4年生になるとやや高度な振り付け、5・6年生になるとかなり高度な振り付けといった具合にきっちり分けられていました。
真新しくてずっしり重いランドセルを背負って慣れない新生活に戸惑っていた1年生の頃、最上級生の6年生はおじさんおばさんほどではないにしても大人とあまり変わらないように見えていました。6年生のお兄さんお姉さんの踊るダンスはとっても複雑で難しそうで、体育座りをしながら憧れの眼差しで見つめていたものです。
このように1年生で入学した直後に行われる運動会から6年間連続でこれを踊らされる我が母校の卒業生は、『虹と雪のバラード』を聴くとビクッと反応してしまうという特異体質に仕上がっているのです。
卒業してから20年が経つのに未だに5・6年生が担当する部分の振り付けを体が…体が覚えているんです…!もう今すぐにでも踊れます。
今回ご紹介した、
『白銀の栄光』
白銀の栄光(This Glorious White World) - YouTube
『虹と雪』
行進曲「虹と雪」(March "Rainbow and Snow") - YouTube
『虹と雪のバラード』
虹と雪のバラード【トワ・エ・モワ】1971年 - YouTube
これらはいずれも大変素晴らしい名曲です。ぜひお聴きになってみてください。
ちなみに私は今『虹と雪』を聴いて泣きながらこの記事を書いています。
『虹と雪のバラード』の歌詞についての考察はこちら。
「はっきりいつでも君の話を憶えている」と言いたくなる話
今日、Twitterの知り合いの方(男性)がこんなお話をツイートされていました。
数年前の出来事。奥さんの作るカレーはいつもお肉が多いので何の気なしに「今日もお肉たっぷりだねと言った」
→実はその理由は、20年前にその方が来客の前で妻のカレー(その日はお肉が少なかった)を指して「ずいぶんプアなカレーだね」と言ったためだった
→妻がこの出来事を話すが、自分はまったく記憶にない…
これ、他人事とは思えませんでした。
全ての女性がそうとは言いませんが、男性の、特に恋人や配偶者の発言をずっと憶えている人は多いと思います。私はそうです。言った側はたぶん次の日には忘れているとかいうレベルのことなのに。
しかも自分の場合、記憶を補強するアイテムがあるのです。
日記帳です。
日記をつけ始めたのは小学校5年生のとき。祖母に勧められたことがきっかけでそこから10年以上続けていたものの、結婚するすこし前に一度やめてしまいました。ところが、上の子が生まれて2年が経過したある日。夫が突如3年日記というものを購入したのです。これが面白くて、たとえば今日日記を書くとすると、同じページの上の段には昨年の同じ日の日記が書かれているわけです。日記というのは通常一度書いたら読み返すことはあまりないものですが、この3年日記にすると読み返す頻度がグッと上がるのですね。
そのようなわけで、私も3年日記を購入しました。夜に夫と一緒に食卓で日記をつけることがあるのですが、とても興味深いのが、夫の記述はその日に起きたことの割合が高く、自分がどう感じたかはあまり書いていないのですが、私の方は起きたことも書いてあるものの、自分が何を考えたか・どう感じたかということに関する記述がものすごく多いのです。しかも、誰かの発言はかぎかっこをつけて忠実に再現するというこだわりぶり。
嬉しかったこと・感動したこと・悲しかったこと・ショックだったこと・腹が立ったこと等がすべて具体的な発言つきで記録されているデスノート日記帳、我ながら恐ろしい代物です。
ちなみに、冒頭の話はどのように収束したかというと。
自分の発言がきっかけで妻がカレーに入れるお肉を増やしたことを20年経って初めて認識した知り合いの方はこう言いました。
「それは大変申し訳ない事を!悲しい思いをさせてすまなかった!どうか許してください!」
この返答は100点満点だと思います。
過去の自分の発言に対して現在の自分がどう感じているか(=「大変申し訳無い事を!」)、何に対して済まないと思っているのか(=「悲しい思いをさせ」たこと)を述べた上で、「どうか許してください」と懇願しているのです。一切の過不足なし。
ここでたとえば
「そんな昔のことネチネチ言うなよ」
「憶えてないんだからどうしようもない」
「もう許してくれたっていいだろ」
なんて言う奴は顔洗って出直して来い人間です。
昔のことじゃなくて、その出来事が起きた日からもやもやは継続してるんだよ。
そっちが忘れてたってこっちは憶えてるんだよ。
大体、許すかどうかはこっちが決めるんだよ。
奥さんは「まあ私も忘れてたしもういいんだけどね」と言ったそうですが、その返答を引き出せたのは誠意ある謝罪があったからだと思います。やっと奥さんの抱えてきたもやもやが消えていったのです。きっと。
わだかまりを解消するのに遅すぎることはないのですね。
もし我が家で同じ出来事があったらどうだろうか…夫はそんな人ではありませんが、もし、万が一、さっきの出直して来い人間のようなことを言ってきたら…
即デスノートに記載します!
Twitterと産後のママの話
このブログを始めたのとほとんど同時期にTwitterを始めて、もう半年弱になりました。
いやーTwitter始めてよかった!!!
良かったことだらけです。本当に。
最近では、産後のママさんたちにもTwitterが良いのではないかという話もあるそうです。そのような記事を読んで自分の産後はどうだったか思い出してみました。
赤ちゃんを産んだその日から大体2か月めくらいまでは、まとまって眠れるのは1時間か2時間でそれ以外は昼夜問わず授乳するか寝かしつけを繰り返す毎日です。
昼間はまだ良いのです。外が明るいから。明るいと、マイナスのことはあまり考えないから。
でも夜はつらかったです。午前2時とか3時、外は真っ暗でよその家の明かりも消えています。そんな中、眠っている状態から目を覚まし泣く赤ちゃん。寒さをこらえて授乳し、ミルクを飲み終わっても子どもがなかなか眠ってくれずに泣き続けているとき。
この世界に自分ひとりだけしかいないような気持ちになりました。
今なら「そんなはずないって~」と笑えるのですが、産後はホルモンバランスが崩れて悲観的になっていたのです。
里帰り出産で夫とは離れ、実家も狭いので実家近くに部屋を借りていて、本当にひとりぼっちだったのですが、産後そこで過ごした2ヶ月間が精神的な面でよほどしんどかったのか(肉体的には、母が家事をしてくれるのでとても楽でした)、夫と生活している家に戻ってからしばらくして産後うつ直前まで追い込まれてしまいました。
親しい友だちはまだ結婚していなかったり子どもがいなかったりでこういった育児に関わるネガディブな話はできず、すでに子どもが乳児期を過ぎている人(母やいとこを含めた上の年代の女性たち)に話すと「つらいのは今だけだから」「必ずつらい時期は終わるから」「いつか振り返ったときにいい思い出になるから」と言われました。
私を励まそうとしてくれているのはわかったのですが、「それはわかってる。だけど私は“今”つらいのだ。先のことなんて話していないんだ。今現在つらいのをどうにかしたいんだ。」と内心泣きながら叫びたくなったのを思い出します。その人達が良かれと思ってかけてくれた言葉に感謝の気持ちを持てない自分にも嫌気がさしていました。
とにもかくにも、普通じゃなさすぎる状態だったのです。
もしあのとき、Twitterがあったら。
同じ時期に出産した人たちと
「あー赤ちゃん寝ないんだけどwww」
「泣きやまないねーなんでだよー私のが泣きたいよ~w」
「うちもうちもww夜勤続きで超ダルいww」
こんな風にツイートしたり返信をもらったりすることができていたら。
自分はひとりじゃないって思えたような気がします。
今もTwitterがなければ、日中は子どもと、あと幼稚園のママさん数人・スーパーの店員さん・クロネコヤマトさんしか会話する人がいません。
けれどTwitterをしていると、家にいながらにしていろいろな人たちとやりとりすることができます。自分の世界が広がっていくような感覚になるのです。
人が好きで会話も好きだけれどその機会をなかなか作れない現状にある人にこそTwitterをおすすめしたいです。
ひとりソウルに行った話・番外編
初めて観に行った田島貴男さんのひとりソウル@札幌が終わってもう一週間が経とうとしています。これが今年の私のライブ納めでした。去年の今頃は自分が誰かミュージシャンのライブに行くなんて、しかも同じ人を観るために年に3回も出掛けていくなんて想像だにしませんでした。今年になって突如、とてもエキサイティングな趣味ができてしまったのです。人生、いつ転機が訪れるかわからないものですね。
次に田島貴男さんのライブに行けるのは来年の3月中旬。11、12、1、2、3…5か月後です。
…5ヶ月後!?先すぎない!?
それまでオリジナル・ラブを聴きつつ、たじまん仲間さんと飲みに行ったり、ママ友さんにたじまんの良さを熱く語ったり、Twitterでたじまんを観に行った方の感想ツイートを読んだりして過ごそうと思います。あ、ここで唐突に宣伝ですが、来週のNHKあさイチに田島貴男さんがなななんと生出演します…!!!
特選!エンタ 田島貴男さん 魅惑のギター弾き語り|NHKあさイチ
ぜひ御覧ください!!!
そういえば、ひとりソウル後にファン仲間の方から聞かれました。
Q.最前列でたじまんと目合った?
A.目が合ったとは思いませんでした。
まず、最前列かつセンターというのは、こちらはかなり上を見上げなくてはいけませんし(3曲目くらいから首がちょっと痛くなりました。)、ステージ上の人からはかなり下を見てもらわないといけないポジションです。相互に、自然な首の角度では見づらい位置になります。
そして田島貴男さんは、
マイクに向かって歌っているときにはどこを見ているのかよくわからない表情(遠くを見る眼差し。ファンなら「あの表情ね」とわかると思います!)
→歌っていない時には前回の記事にも書いたように満面の笑みで素早くうなずく!
→また遠い目で歌う
→今度は反対側を向いてすばやく頷く!
(その間ずっとギター演奏中&足元では機械を操作中)
という、どこか一点に熱い視線を注いで歌うのとは違う感じなのですね。
目が合ったというのはほとんどがファンの主観、身も蓋もない言い方をすれば思い込みだと思っているのですが、ひとりソウルにおいてはその思い込みすらもできないくらい演奏に没頭されていました。ちなみに、隣にいた夫も「僕も目は合わなかった」と言っていました。よかった。夫ばかり目が合っていたらちょっとおもしろくないというのが本心です(笑)。
ほかに聞かれるのが、
Q.最前列ならではのエピソードは何かあるか?
A.良い点は、ステージで起きているいろいろな出来事を目撃できること。
たとえばこれ。
開演前に目の前の台の上に置かれたこの箱、「工具箱のような形に見えるけれど一体なんだろう?」と思って見ていたのですが、ライブの最中、演奏の合間に田島貴男さんがこの箱に近づいて何か取り出していました。それが何なのかはわからなかったのですが(ギターピック?)、箱からブツを取り出すときのうつむきつつも楽しそうな表情を間近で見られるのが良かったです。
あと、マイクには入らない声や音、例えばものすごく小さなミスをしたときの「うひひ」みたいな笑い声だとか、靴底が「キュッ」と鳴る音だとか、そういったものを聞けるのがスペシャル感満載でうれしかったです。
良くない点は、それらを全て見届けたいと集中しすぎるあまり、いつもよりセットリストやMCを憶えられないこと。
脳のメモリー容量はこんなもんじゃないはずなのですが…。
断片的に憶えているMCについては、ツアーが終わったらセットリストとともに記事にしたいと思います。
曲の終わりにギターをかき鳴らす田島貴男さん。
髪の毛ボッサボサ、脚は思いっきりガニ股、顔もぐおおおおお!!!っていう感じだけど、なりふり構わず荒々しく演奏される様子が最高です。必見!!
ひとりソウルに行った話・その参
前回からのつづきです。
1曲目の途中でギターのピックが飛んでいき、アワワワとなっている私。
ですが、田島貴男さんは動揺せず(すこしの間ギターの演奏は途切れましたが)、マイクスタンドにくっついているたくさんのギターピックから1枚をすかさず「ピッ」と取り外して演奏を続けたのです。
へえーーーあそこにスペアがあるんだね!!超便利!!
↑ここ。7枚か8枚くらいくっついているのです。知りませんでした。
最前列じゃなかったらここまではっきり見えなかっただろうなあ。
その後は初めて聴くあんな曲あり、そんな曲を演ってくれるとはという想定外の曲あり、あの曲の大合唱あり、斬新な演出もインパクト大であっという間の2時間強でした。(すみません、これがネタバレしないギリギリのラインです…!!)
実は1曲目でギターピックが飛んでいった後にも、うまく音が出ない等のごくごく小さなアクシデント(とも呼べない程度のものですが)はありました。札幌は帯広の翌日で、今回のツアー2日目の会場です。しかも例の演出を披露するのは初の機会ということもあったので、まだまだ慣れていないというかライブが熟していない部分があったのかもしれません。しかし、田島貴男さんはそれらのアクシデントさえもショウの一部にしてしまっているように感じました。会場全体の雰囲気がアットホームで、「田島貴男さんが前回のひとりソウルからさらに鍛錬を重ねてきたその成果を見守る会」的な趣があるのです。
一分の隙もなく完成されたものが良いのならMVを見ていればいいわけで、そうではなく生きた音楽が生み出される現場に立ち会うことそれ自体を楽しめるチャンス、ひとりソウルはそういう場なのだと解釈しました。
ライブが終わってから、無理やり連れて行った夫に感想を聞いてみました。
「あの曲の前にやる『♫ブンツクブンッツ!!』(注・ボイスパーカッションです)みたいなやつってその場で録音してるんだね。すごいな。」
「あれ録音して再生して、ギター弾いて歌って、途中でいろいろ切り替えてっていうのを全部ひとりでやってるんだよな、大変だねえ。」
「おじさんがステージの横でずっと心配そうに見てた。中腰で身を乗り出す感じで。真面目な顔して。ついそっちも見ちゃった。」
「たじまん最初から最後まですげえ楽しそうだったし、なんか音がうまく鳴らなかったかギターがうまく弾けなかったかしたときに観客が『頑張れー!』とか言ってたんだけど、たじまんは嫌そうな顔しないで笑ってた。そういうところが好感持てた。」
そして、
「僕はああいうところ(ライブハウス)には縁のない一生を送るのかと思ってたけど、たまに行ってみるのも楽しくていいなと思った。」
これです。
田島貴男さんのことを好きな人があの場に来てひとりソウルショウを楽しむのは、言ってみれば特別ではないことです。しかしながら、我が夫は「妻が田島貴男好き」というだけの普通の人なのです。妻のテンションが異常に高いので、それに合わせるためにライブ前にビールを2缶飲んだ(=ビールを飲まなければテンションを上げられなかった)ような普通の人なのです。
そのような人に「ライブは楽しいものだ、また来てもいいかな」と思わせることができるのが本物だと思うのです。
ではそう思わせることができた理由、それは何かというのを考えてみたのですが、やっぱり田島貴男さん自身が終始楽しそうにしていることだと思います。
右を向いては満面の笑み!(素早くうなずきつつ。)
左を向いては満面の笑み!(やっぱり素早くうなずきつつ。)
キメ顔はほとんどありませんでした。楽しくてしょうがないというのが伝わってきました。それが一番大切ですよね。音楽は音を楽しむと書くのですから。
あの姿を見せてもらうために、また来年もひとりソウルに足を運ぼうと思いました。もちろん、「また行ってもいいかな」と言っていた夫も無理やり連れて一緒に。
ひとりソウルショウ@札幌、素敵なライブでした。
番外編あります。