どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

形成外科 その四(完結)

数年前に現れ、日に日に存在感を増してきていた憎きシミをレーザーでピシピシっとやってから2週間。(こちらの話の続きです。↓)

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医師「じゃあ見せてね。おっ!?おおお!!いやいいねー最高だね!!

ぶた子「は、はあ」

お医者さんの爽やかな笑顔とテンションの高さにやや困惑します。距離が近い近い!

医師「いやー素晴らしい!!最高。

ぶた子「そうですか!ありがとうございます。」

私が最高というよりはお医者さんの腕が素晴らしいのだと思うのですが、最近なかなか褒められることもなくなっているので、なんだかとても良い気分になってきました。

まだ周りの皮膚よりはピンクがかっているものの、メイクすればまったくわからない程度になっているので、これでやっと気にせずに外出できるようになったのねと思った矢先。

医師「このシミがあったところね、もう軟膏と絆創膏はいりません。で、これから黒くなるからね。

ぶた子「えっそうなんですか!?

医師「そうなの、一度黒くなって、それから普通の皮膚と同じ色になるんだよね。そうならないでこのまま周りと同じ色になっていく人もいるんだけど、黒くなる方が多いのでなると思っていた方がいいね。」

な、なんとーーー!!

しかも、これから1ヶ月間はきちんと遮光できる日焼け止めを1日3回塗らなくてはいけないというのです。なんでも、レーザーを当てた箇所は日光による色素沈着を起こしやすいのでそれを防ぐためというのがその理由ですが、軟膏を塗って絆創膏を貼るのを1日2回行うとか日焼け止めを1日3回塗り直すことが必須だとか、いい加減な性格の人にはこのレーザー治療は向いていないなあと思ってしまいました。

 

頼むから色素沈着しないでね、できれば黒くもならないでね。そう思いながら日焼け止めを1日3回塗ること1か月。結局、黒くなることはありませんでした。(ラッキー!!)

今や、かつてシミのあったところを見ても一体どこにどのくらいの大きさのものがあったのかわからないほどに跡形もなくなっています。

鏡を見るたびにちょっと暗い気分になっていたのが、もう髪の毛で隠す必要もないのだと思うと楽しくて仕方がない毎日です。

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さて、このようなプロセスと結果を念頭に置いていただいた上で、治療にかかった代金を発表します。

ルビーレーザーでの治療、5400円也。(1cm✕1cmの中に入る大きさだったため。面積に応じて値段が上がります。)保険がきかないので自費です。

この金額でこんなに満足感を得られるなんて、もっと早く治療してもらえばよかったなと思っています。

 

帰り道、エレベーターで同じ形成外科を受診したおばあさんと一緒になりました。

おばあさん「あら、お子さんどこかお悪いの?」(※にくまるを抱っこしていたので、にくまるが治療を受けたと思われたようです。)

ぶた子「ああ違いますよ、私のシミの治療です!」

おばあさん「あらあなたの?どこにシミがあったの?」

驚いた表情で聞いてくるおばあさん。興味津々なご様子です。

ぶた子「ほら見てくださいよここ、ここにあったんですよ。」

おばあさん「はえー、全っ然わからないわねえ!すごいわー!あの先生、男前だし優しいし腕もいいし素敵よね。実は私もシミをとりたいと思ってるの。ここ見て、このシミよ。」

ぶた子「そんなに目立ちませんが、もし気になるようでしたら絶対オススメしますよ。レーザー自体は痛くないし、その後の軟膏を塗って絆創膏を貼るなどの作業は大変ですけど、それだけ大変な思いをしてでも受ける価値のある治療だと思います。」

おばあさん「それで明るい気持ちになれるならやったほうがいいわよね。あなたよかったわね!よし、私も今度先生に相談してみることにするわ!」

ありがとう!と笑顔でお礼を言っておばあさんは足取り軽く去って行きました。

 

「そんなに目立ちません」と言いましたが、そのおばあさんの頬には大小たくさんのシミがありました。そのため、一体どのシミが気になっているのか本当はわからなかったので、「そんなに目立たない」という言い方をしたのです。

けれど、「そんなに目立たないから別に気にしなくてもいいんじゃないかな?」と思いかけて、その言葉こそがレーザー治療を受ける前の自分にとって一番モヤモヤするものであったことを思い出しました。

 

おばあさんのレーザー治療が成功することを願っています。

そして、自分もあのおばあさんと同じくらいの年齢になっても、自分の肌をきちんと気にして小奇麗であろうと努力する女性でありたいと思いました。

若さの秘訣

ゆきまる(娘・4歳)の体操教室4日目。
授業が終わってお昼ごはんを食べているときのことです。ゆきまるがすこし照れた表情で話しかけてきました。


ゆきまる「おかあさん、ゆきまるね、よっしー先生(※先生のニックネームです。)のこと好きなの。でもね、よっしー先生には内緒にしてるの。
ぶた子「へっ!?」


突然の告白に面食らった私は聞きました。


ぶた子「どうして内緒にしてるの?本人に好きって言ってもいいと思うけど。」
ゆきまる「ええー恥ずかしいなあー。」


そう言ってモジモジしながら笑うゆきまる。かわゆい。(親バカではない。)


なので、本人の承諾を得て、ちょうど通りかかったよっしー先生に声をかけました。


ぶた子「よっしー先生ですか?」
よっしー「あっ、あ、はい…?」

(※よっしー先生、私に話しかけられて怯えたり身構えたりするのはやめてください。怖くないよー怖くないよー。)
ぶた子「娘がよっしー先生のこと好きだって言うんですよー。」
別の先生「そうなのかあ!ゆきまるちゃん、よっしーに抱っこしてもらえ!」


笑顔でゆきまるを抱っこしてくれるよっしー先生。嬉しいのを堪えてカレーパンマンみたいな口になっているゆきまる。

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抱っこから降ろされて、「また明日ね。」と頭を撫でられていました。

 

スポーツクラブを出ると。


ゆきまる「おかあさんおかあさん。」
ぶた子「ん?」
ゆきまる「ゆきまる、よっしー先生のことちょっと好きだったんだけど、抱っこされてもっと大好きになっちゃった。


ぐおおおおお!!!
なにこの嬉しそうな娘。胸キュンなんですけどおお!!!


そうだよねえ、誰かのこと好きになるのって嬉しいことなんだよねえ。
でもさあ、年を重ねるにつれて、素直に喜べなくなるのってなんでなのかなあ?
相手が自分のことどう思ってるかわからないしとか、友だちだったのに好きになられたら迷惑かもしれないとか、全然しゃべったことないのにとか、気持ち悪いと思われたらどうしようとかいろんなパターンが考えられるけど、そういう余計な要素が「好きになって嬉しい」という気持ちを邪魔するんだよね。
誰かを好きになることが怖いような気持ちになんてならなくていいのに。
本当は、相手が自分をどう思っているかはどうでもよくって、まずは自分が相手を好きなんだという気持ちこそが大事なんだよね。
それを、4歳の女の子に教えられました。
私はもう恋愛市場に打って出ることはない(だろう)けれど、なんだか人を好きになることの原点を教えられた気分です。

 

その後、同じ町内に住むおじいさんと道で遭遇しました。90歳目前なんて信じられないくらい若々しい方です。この方は私の母のことを相当気に入ってくれている(というか端的に言えば好きだと思います。どうこうしたいとかではなくて異性としてタイプなのだと思います。)のですが、今日照れくさそうな笑顔で言われました。


「いやあ、あなた本当にお母さんにそっくりですねえ。えへへ。


ああそうか。
この人の若さの秘訣はこれか。
約60歳も年下の異性に対して関心があることを微塵も隠そうとしない。
気持ち悪いとか、何このじいさんもう枯れなさいよなんて思わず、ただただ感心してしまいました。


「わ、わわ、ワシはもう、女性に興味が、もも持てないのじゃよ…。」(プルプル)


という姿勢であってはきっとこの若さを維持できないのだろう。

それならば、私もスポーツクラブで若い先生のことをチラ見することを恥じないでいよう!
昔からかなりの年上好きだったのですが、今は若くてもいい。
もう全方位OK。素敵かどうかに年齢は関係ない。

 

素敵な人を素直に素敵と思える気持ちは大切にしていきたいと思いました。

靴を磨いた話

ゆきまる(娘・4歳)の体操教室も今日で三日目を迎えました。

今日も今日とて若い男性コーチの肉体をチラ見していたのですが、あるコーチが側転を実演したときにTシャツがみぞおちくらいまでめくれていて、「キャッこれ見ちゃだめなやつ!じゃなくって見ておかないといけないやつ!!え、ちょ待ってそれじゃ私ただの変態じゃん!!!」と取り乱しながらもしっかり凝視しました。(完全に変態。)

 

日岡村ちゃんのイラストを描いて思い出したのですが、Twitterのフォロワーさんの中にはベイベ(=岡村ちゃんのファンのことをこう呼びます)の方がかなりいらっしゃるので、タイムラインにはベイベさんたちのディープなツイートが連日&終日流れています。(これのせいで図らずも岡村ちゃんをちょっとずつ好きになってきてしまっているのですが、その話はまた後日改めていたします。)

そのディープなツイートたちの中で印象的だったのが、

『次の中から1つ選ぶならどれがいいか?

1.DATE全回通う

2.DATE毎回神席

3.岡村ちゃんと結婚する

4.岡村家の猫になる』

このような質問と、これに対する回答です。(この質問からしてどっかおかしいとか、いい大人がこんなことを真面目に考えるのがおかしいとか言う奴もうgood nightしてください。)

このツイートをされたベイベさんはですね。

4を選んでいたんですよ。

泣けましたね。

理由がまた泣けるの。

「4なら、ずっと一緒にいられるから。」

グスン…。ティーンエイジャーの私なら間違いなく3を選んでいましたが、そんな自分に「この青二才めが。」と言いたくなります。

結婚してしまうといろいろ見えてきますからね。ずっと一緒にいられないリスクだってありますよね。

 

うちは結婚して今年で7年になりますが、もちろん良いことばかりではありません。

交際しているときと結婚してからで一番大きく、かつ重大な変化だと思ったのは、喧嘩した時に逃げ場がなくなることです。付き合っている相手となら、お互い頭を冷やす間ちょっと会わないでおくということができますよね。それが結婚してしまうと、ブルジョワではない故、狭い家の中で顔も見たくない相手と毎日顔を合わせなくてはいけないのです。いかにも機嫌の悪そうな顔をした相手と。そのため、和解成立までのなんともいえない時間をやり過ごすテクニックが自然と身についてゆきます。

 

私の母は、父とケンカしても家事は手を抜かない人でした。喧嘩して腹を立てていることを理由に家事を放棄することで自分に落ち度を作りたくないというのがその理由だったように思います。自分はあなたに腹を立てているけれど、あなたに対してやるべきことは果たしていますよと言える状態でいたいのでしょう。これは私も同じです。なので、夫婦喧嘩中であっても食事も作るし洗濯もします。靴も磨きます。もちろん内心は「なんであんなやつの靴なんか磨かないといけないんだ!」と思っていますよ。しかし磨くのをやめるわけにはいかないので、そういったときにはそのときに一番マイブームの人の靴を磨いていると妄想してモチベーションを上げることにしています。

「今日は綾野剛の新作映画の舞台挨拶…マスコミも大勢来るのに靴が汚れていたらカッコ悪いでしょ?いや、それどころかニュースになってしまうかもしれない。“綾野剛、多忙で靴もボロボロに?!”みたいな見出しがYahoo!トップページに載ってしまうかもしれない。ひゃーそれだけは困る!できるだけ丁寧にピカピカにしなくちゃ。綾野剛もきっと、『ぶた子さん、ありがとう。』と言ってくれるだろう。笑顔で。ちょっとはにかみながら。くうーーーたまらぬううう!!!(興奮)」

ここまでくると憎きあんなやつのことは脳裏から綺麗サッパリ消え去っています。そして、なんとなく仲直りすると。

 

詰まるところ何を言いたいかというと。

 

妄想。それは平和と秩序維持のために欠かせないもの。

 

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続・Twitterというもの

春からずっと楽しみにしていたオリジナル・ラブのライブ。もう3週間以上前の出来事になってしまいました。

完全にたじロスでしんみりしているのに、次にたじまんのライブに行けるのは『田島貴男ひとりソウルツアー』札幌公演の行われる10月15日なのです。あれーあと2か月以上もある!!!

ですが。Twitterを見ると毎日タイムラインにたじまん情報が流れてきて、どうしたってたじまんの名前が目に入ってくるわけです。

…あれ、私この感覚知ってる気がする…いったいなんだろう…?

ずっと考えていたのですが、さっき晩ご飯を作りながら思い出しました!

これは、

「好きな人(別のクラス)に告白したらふられてしまって、しばらくは会うことができないってわかっているのに、同じ学校にいるからどうしても姿が目に入るし情報が耳に入ってきて意識してしまう。」

というあの感覚に似ているのだ。(もちろん実体験です。)

だから何だという話なのですが。

ブログの開設とほぼ同時にTwitterのアカウントを開設して、早3か月弱が経過しました。

フォローさせてもらっている方も100名を超え、数名の方には先日のオリジナル・ラブのライブでご挨拶させてもらいました。まだお会いしてはいない方に対しても、コメントのやりとりをしている中で親しみを感じるようになっています。

 

以前にも一度書きましたが、私はアンチTwitter派でした。

butakosan.hatenablog.com

確か、交通事故などが起きた時に現場の写真を撮ってツイートする若者が増えているということをニュースで知ったのがきっかけで、良くない印象を持つようになったと記憶しています。

そしていつしか、自分が試しに始めてみてすらいないのに、「リアルで話し相手のいない寂しい人が熱中するものだ」「顔も知らない相手と友情なんて築けるはずがない」と思い込んでいたのです。

 

ひどいですね。根拠なき決めつけです。

 

まずひとつめ、「リアルで話し相手のいない寂しい人が熱中するものだ」という思い込み。

私は数か月前からオリジナル・ラブにハマっているわけですが、それをリアルで誰かに話すとなると相手は夫・両親・弟・ママ友さんくらいしかいません。あとはLINEで友だちに話すか。

けれど、それって相手からしたら迷惑なことではないでしょうか。

相手もオリジナル・ラブを好きならいいですよ。でも、自分の親しい人がオリジナル・ラブを、自分と同じくらいの熱量で好きである確率はとても低いと思うのです。(実際、私の周りにはひとりもいませんでした。…。

それならば、Twitterオリジナル・ラブを好きな人を探して、そういった人たちとコメントのやり取りをするのが一番良いと思うのです。

誰も嫌な思いをしません。

毎日毎日興味のない話をされる人も、その話全然興味ないという顔をされる人もいない。

みんなハッピー。誰も不幸にならない。

このことは、リアルでの話し相手の有無とは全く関係がありません。

むしろ、リアルでの話し相手との関係を良好に保つためにとっている方法という側面もあるのではないでしょうか。

(と言いつつ夫や一部の友だちにはしっかりたじまん話を聞いてもらっている奴、それが私なのですが…ありがたやありがたや…。)

 

長くなったので続きます。

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Twitterを始めたことでかなり好きになってきた岡村ちゃんの絵を描きました。

 

体操教室へ行った話

ふと気づけば、このブログを始めてもうすぐ3か月が経とうとしています。

1つの記事につき1枚はイラストを描いているので、少なくとも90枚のイラストを描いてきたということになります。短期間にこんなに絵を描いたのは初めてです。

googleで「オリジナル・ラブ 堕落」と、オリジナル・ラブを好きな人ならばおよそ選ばないであろうひどい言葉で画像検索すると私の描いたイラストがだーっと出てきます。もうちょっとした個展状態でさすがに吹き出してしまいました。

ちなみに、私の画像の間にたまに田島貴男さんのTwitterのアイコン画像だとかCDジャケットだとかがちょこちょこ表示されるような状態なのですが、なぜか唐突に笑顔の槇原敬之さんの画像がぽつーんと1枚表示される理由が気になっています。

 

今日はゆきまる(娘・4歳)の体操教室初日でした。

幼稚園で器械体操をする日があるらしいのですが、先生がちょっと怖いのか「明日体操教室ある?あるなら休みたいなあ」と頻繁に言うようになってしまったので、夏休みの間に別の先生に教わってできれば体操の楽しさを知って2学期に臨んでほしいと思い申し込みをした次第です。

コースはもちろん一番初心者向けのものをチョイス。

体育館に行ってみると…

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めちゃくちゃグルングルン回っていました。

私唖然、ゆきまる愕然。

そこへ、とても背が高くて若い男の先生が現れました。

 

私の進路選択の傾向は、運動神経が今ひとつであることから勉強に力を入れる系だったので、己の肉体を使ってご飯を食べている友人というのがひとりもいません。

(実はひとり、勉強に力を入れる系の学校を卒業しておきながら肉体派の消防士さんになって全国大会で表彰された友人がいるのですが、スポーツ系ではないので除外しておきます。)

そのため、スポーツクラブで先生をしている男性を見ると無条件ですごいなという憧れの眼差しで見てしまいます。Tシャツとジャージというシンプルな服装だけれど、雰囲気が爽やかだし無駄のない引き締まった肉体をしているし、最高ですね。(変態ではない)

 

話は戻りまして、ゆきまるの前に現れた背の高い若い先生。

ゆきまるが怯えきって涙目になっているのを見て「だーいじょうぶだって!!」と爽やかに笑い、手をつないでくれたり、高い高いをしてくれたり、頭をポンポンとしてくれたのです。

 

ぐおおー!!

ねえゆきまる。

おかあさんと交代しないかね?(変態ではない)

 

その他の先生も優しい方ばかりで、授業が始まるときには珍しく泣きながら「怖い!怖い!おかあさん!ゆきまるできない!!」と訴えて私のそばを離れようとしなかったゆきまるでしたが、終わってみると「あー体操教室楽しかった!また明日も行くんだよね?」とすっかり笑顔になっていました。

子どものこのすぐに気持ちを切り替えられる能力、「あれだけ泣きわめいた手前、体操教室楽しかったとか言いにくいな…」などと思わない変わり身の早さ、本当に素晴らしいものだと思います。こういうものは大人になる途中でどこかで捨ててきてしまったので、自分もゆきまるを見習いたいと思いました。

 

体操教室は残り4日間。最終日まで笑顔で通ってほしいと思います。

経験と想像力

息子にくまる(1歳)を連れて外出すると、お年寄りが必ず声をかけてくれます。

もう、とにもかくにも愛想のいい子なのです。おまけに、名前が「にくまる」なだけあってちょっとふくよか。

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全身むっちむちで、ムダ毛や吹き出物なしのトゥルントゥルン。特にほっぺに関しては、この世にこれ以上触り心地の良いものはあるだろうかと思えるような感触です。

 

今日も用事があってにくまると出かけたのですが、バス停でおばあさんが話しかけてくれました。

「あら可愛いねぇ、いくつ?」から始まり、「私も子ども育てたし(+孫も面倒見たから、が付け足されることも多。)、昔が懐かしいわ」というところまでは大体どのおばあさんも同じ流れで話が進むのですが、今日の方はこう言いました。

「あなたちゃんと子育てして偉いわね。やっぱり子どもを持たないと人間成長できないわよ。

ここでちょっとイラッとしてしまいました(超短気です)。ですが、私もいい大人です。笑顔で尋ねました。

「何故そう思うんですか?」

「あのね、子どもを育てることで自分も成長した部分があるから。」

「そういう面はありますね。でもまあ、それを子どもを持たない人に言うというのはちょっとできないですね。」

おばあさんがなにか言いかけたところでバスが来てしまい、話は途中で打ち切られました。

 

バスの中からずっと考えているのですが、

①自分は子どもを育てることで成長した部分がある。

②人間は子どもを持たないと成長できない。

これらは論理的につながっていないと思います。

①については正直わかりません。ただ、ご本人がそう感じたということ自体は否定するつもりはありません。

②については言うまでもなく一方的で乱暴な決めつけだと思います。

 

ここで自分自身を振り返ってみると、子どもを育てたことで、子どもがいなかったときにわからなかったことがわかるようになったという面は確かにあります。

たとえば私は小さな子どもが苦手で、理由の一つに「公の場でわめきちらすのがうるさいから」というのがあったのですが、独身時代や結婚後まだ子どものいないときは「母親は自分の子どもが騒いだら100%静かにさせることができる」と思っていたんですね。そして自分が母親の立場になった時に、なんというひどい思い込みだったのだろうと恥ずかしくなりました。

しかし、実際に子どもを育ててみるまでこれに気づけなかったのは、私自身の知識や想像力が足りなかったからだと思うのです。

つまり、子どもという生き物は大人の言いなりになるばかりではないという知識やそれを想像する力があれば、自分が実際に子どもを持たずとも「母親が子どもを静かにさせることができない場面があること」をイメージできたのではないか、そんな風に思います。

 

当たり前ですが、子どもがいても成長しない人はしないでしょうし、子どもがいなくても成長する人はすると思います。子どもを持ったからこそ知ることができることもあれば、子どもを持たなかったからこそ知ることができることもあるのでしょう。

いろいろな生き方があることを認めた上で、自分が経験しなかった生き方から想像力で何かを学び取ることができれば、自分の人生はもっと豊かになるような気がした一日でした。

好きなことと仕事との関係

昨日は千葉県市原市で『ピーナッツキャンプ』というイベントが行われたようです。

そこで、田島貴男さんと小西康陽さんが『夜をぶっとばせ』で一瞬同じステージで共演されたと聞きました。(ファンではない方からしたらなんのこっちゃという話ですね。)

ピチカート・ファイヴといえば小西康陽さんと野宮真貴さんの2人組というイメージを持っている方も多いかと思うのですが、野宮真貴さんの前にボーカルを務めていたのが田島貴男さんなのです。オリジナル・ラブ(当時はラヴ)とピチカート・ファイヴをかけもちしていた時期があるのですね。(後に、オリジナル・ラヴの活動に専念するためピチカート・ファイヴは脱退。)

そして『夜をぶっとばせ』というのは、元々メジャーデビュー前のオリジナル・ラヴがライブで演奏していた曲で、その後ピチカート・ファイヴ時代に小西康陽さんが改めて作詞され、さらに数年後今度はオリジナル・ラヴとしてレコーディングされて1stアルバムに収められたものです。今でもライブで頻繁に演奏される、超名曲です!大好きです!!

夜をぶっとばせ - YouTube

この疾走感がたまりません。この曲を聴きながらジョギングするとどこまでも走っていけそうな気分になります。

ちなみに、ピチカート・ファイヴ時代の『夜をぶっとばせ』は、オリジナル・ラヴバージョンよりも田島貴男さんの声が細い印象です。抑えたボーカルというか。こちらも魅力的です。

それと比較するとオリジナル・ラヴバージョンは、声に男らしさだとか色気が出てきたように感じます。あーやっぱり1st『LOVE!LOVE!&LOVE!』いいなあ…。

 

うっかり語りすぎました。

昨日の『ピーナッツキャンプ』で小西康陽さんがDJをされていたステージで、『夜をぶっとばせ』を選曲されたそうなのです。そして「田島くん来ないかなあ!」と言って観客みんなで大合唱していたところで、最近カメラにハマりまくっている田島貴男さんがもちろんカメラを持って登場。右手にカメラ、左手にマイクを持って一緒に歌われたそうです。(このあたりは全部Twitter情報です。)

その様子がこちらです。

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これを一生懸命描いていたら夜中になっていて、ブログの更新ができませんでした。

 

でも、好きなことに没頭できる時間は幸せです。自分の場合はあくまでも「趣味」として、ですが。

似顔絵や人物のイラストを描くことは大好きですが、これが対価としてお金をいただく「仕事」になってしまうと楽しめなくなってしまうタイプなのです。納期がどうだとか、絶対に似せて描かなくてはいけないだとか、そういう要素が発生した途端にストレス解消できる手段だったイラストがストレス源になってしまうんですね。

たまに親しい人に頼まれて描く分にはもちろん楽しく取り組めるのですが、毎日継続して一定水準以上の結果を出さなければいけない仕事にするのは難しいと思うので(自分の技術的にも、テンション的にも)、個人的にはやっぱり趣味でよかったなあと思っています。

 

先日本棚を片付けていたら、中学2年か3年のときの作品が出てきました。

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北海道新聞の子供向け紙面にイラストを投稿するコーナーがあり、そこに応募してみたら掲載されたものです。これも何時間かけて描いたのか…忘れてしまいましたが、とても楽しい時間だったことは覚えています。

 

かなり長い時間、机に向かって黙々と絵を描く娘(ゆきまる・4歳)を見て、この子にとっても絵を描くことが楽しいものであってほしいと思います。

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