どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

MajiでKoiする5秒前(その2・完)

 
歌詞についての話に戻ると。
二番になるとなんだか小悪魔的になってくる「私」。
二人でプリクラを撮りたがることを「子供じみた趣味だと」「からかう」っていうところから「彼」のモテ男っぽさを感じるんだけど(モテる男はからかうのが絶妙に上手いものである。)、「私」は「さりげなく腕をからめて」歩いたり「そっと耳元で」「“大好きよ”と」ささやいたり、形勢逆転してきてるじゃん。

え、ちょっと待って、この時のヒロスエさんって黒髪ショートのティーンエイジャーだよね?ピュアな感じどうした?

そもそもだよ、そもそも初デートに「裾から」「おへそ」がのぞくような服着てく?
しかもそれはちょっと…みたいな「しかめ顔」したお母さんのこと無視して出かける?

何が言いたいかというと、
この「私」はとんがった女なんですよ。

黒髪の清純派はおへそが出る服なんて持ってないし、万一持ってても初デートで着ないし、お母さんが不快感を露わにしたら着替えるんですよ。元黒髪清純派で箱入り娘(現・ただの田舎の主婦)の私が言うので間違いないです。知らんけど。

それなのにこの曲を違和感なく聴けるのは何故かというと。
その後のヒロスエさん本人のなかなかパンクな生き様を知った上で聴いているからなのではと思うのです。
竹内まりやさんはヒロスエさんのとんがりっぷりを見抜いてたとしか思えないんです。


でもね、ラスト。
なんなら自分から「あなた」の唇を奪いにいけそうですらあるのにそういう肉食が過ぎる展開にはせず、「あなた」が「MajiでKissをくれた」(「キスしてくれた」ではなく「Kiss」を「くれた」とする言語センスよ…)結果、「MajiでKonya眠れない」ときた。
 

ちょいと小悪魔的にも思われたのに最後はやっぱりピュアで可愛い女の子で締めくくる竹内まりやさん、MajiでSonkeiしちゃうんだよね。