異性の友だちの話
札幌に帰ってきて以来、髪は友だちの美容師さんにカットしてもらっています。
彼の名前はヨシキ。小学校からの付き合いなので、知り合ってかれこれ25年くらいになりました。小学校の数年間と中学校の3年間同じクラスだったので、当時の写真を見るとヨシキがよく出てきます。夏のお祭りも一緒に行ったし、炊事遠足・宿泊研修・修学旅行の班が一緒だったし、ヨシキが組んでいたバンドの手伝いをしていたし、ほかにもいろいろな思い出があります。
これだけ仲がいいと何かあったと思われることが多いのですが、ヨシキとは何もありませんでした。(私が一方的に好きだった時期はありましたが)
約25年ずっと友だちです。
男女の友情は成立するか、というテーマについてはもう議論は出尽くした感がありますが、最近たまにまた考えています。
今から10年以上前の学生時代には「当然成立するに決まってる」と思っていました。それがここ数年は「やっぱり成立しないのかな」と意見を変えたりもしました。
しかし今は、「成立すると思っている人同士の間では成立するし、どちらかまたは両方が成立しないと思っていたら成立しない」という立場に落ち着きました。当たり前といえば当たり前の結論ですね。
どうやら異性の友だちがいない人は「男女の友情は成立しない」と言い、異性の友だちがいる人は「男女の友情は成立する」と言っているようです。これも当たり前かもしれません。
こういう話をすると、「男はみんな隙あらば性的なことしようと思ってるんだよ。(理由:子孫を残したい生き物だから)」とか言う人がたまにいるのですが、それはさすがに失礼なんじゃないの?と思います。
もちろんそういった野獣タイプの男性はいるでしょうし、そうでないタイプの男性でも潜在的にそういう可能性があるのかもしれません。だからといってすべての男性が隙あらばそういうことをしようとしているというのはちょっと論理の飛躍があるというか、一括りにして語るのはどうかなと思うのです。だって、「女はみんなカネ目当てで好きでもないジジイと結婚できるのよ。(orできるんだぜ。)(理由:自分を守るだけの力を持つオスを探すのは本能だから)」とか言われたらどうでしょうか。私は嫌ですよ。そんな風に言っているのが男性だったら、「あんたドヤ顔で言えるほど女のこと知ってるの?どれだけの女と関わったの?そんなにモテるの?カサノヴァなの?」と尋ねたくなります。
なんだかんだと書きましたが、単純に異性の友だちといると楽しいです。
同性の友だちだと、いろいろ比較してしまうこともあると思うのです。男性同士なら職業・勤務先・年収・役職など。女性同士なら既婚か未婚か・仕事をしているかしていないか・子どもがいるかいないかなど。
でも異性の友だちとはフィールドが違うのでお互い比較しないで済むのです。そしてなんといっても、男性と女性は話のしかた・聞きかたが違うところが面白いです。よく言われることですが、男性の友だちに悲しかった出来事を話して聞かせても「わかるーそれは悲しかったよな」なんてほとんど言われません。分析して、一体どうすればよかったのか自分の見解を語りだしたりします。けれど、それが心地良いこともあるのです。同性の友だちが共感してくれるのはうれしいけれど、そればかりだと前に進めなかったり、物足りなかったりすることもあるのです。
異性と友だちにはなれないなんて思わず、お互い性別が違うからこそ配慮した方が良い点は配慮して付き合っていける人がいると、同性の友だちとは異なった視点を得ることができて人生がより豊かになるような、そんな気がします。