どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

片想いの話

Twitterを始めて約4ヶ月が経ちました。

どうでもいいことやリアルでは言えないようなことも「つぶやく」というその性質上、

「おい見たか?井戸端会議に集中したい母親が、遊んでほしくて騒ぐキッズ達を黙らせるためにお菓子を与えていやがったぜ。キッズ達も諦めているのかおとなしくお菓子を食べている。遊んでやらない上に自分の子どもを積極的に虫歯にするなんて奴らどうかしてるぜhahaha!!」

リトルボーイが木の棒を掴んでいるんだよ。それだけならいいんだ、俺もリトルボーイの頃は棒切れと石ころが大好きだったからな。だがそれが女の子の顔面近くに向かっていっているとなると話は別だ。それなのに母親は言葉で注意するだけなんだよ。おいおいなんてこった、まだそいつは2歳になったばかりだぜ?」

といったボヤキも少なくありません。(ちなみにこの2つのツイートはいずれも私のツイートです。言い回しだけ変えました。

ですが今日、そんな殺伐としたタイムラインの中で心あたたまるツイートを発見しました。

要約すると、

 

「好きな人に

話しかけられなかった。

切ない。」

 

くうううううう

話しかけましょう♡

 

ボヤキツイートばかり投下している自分が恥ずかしくなりますね。

 

このツイートを見て、結婚前は片想いばかりしていたことを思い出しました。物心ついてから好きな人がいない期間というのがほとんどなかったように思います。それくらいいつも誰かに夢中になっている人生でした。

中学や高校でクラス替えがあって、タイプの男子がいないときにはいつも母親に

「全然かっこいい人いなーい」(※ものすごく失礼。)

とボヤくのですが(若い頃からボヤいてばかりだな)、それでもちゃんとその環境に適応して好きな人ができるので毎度毎度華麗にスルーされていました。さすが母、わかってる。

 

そんな、常に誰かを追いかけていた自分ですが、結婚してしばらく経ったとき唐突に、

ああ、私はもう金輪際誰かを熱心に追いかけることはできないのか

ということに気づいてびっくりしました。

そして最近、ゆきまる(娘・4歳)が好きな男の子の話をしてきたとき、

ああ、私はもう現役ではなくて自分の子どもに世代交代したのか

ということに気づいてまたまたびっくりしました。

これからは、ゆきまるの恋路を見守るよき母になりたいと思います。

 

ゆきまるを見ていると「人を好きになることの原点」を教えられる気がします。というのは、「ゆきまるね、ケイタくん(仮名)のことだーいすきなんだー!」と嬉しそうに教えてくれるのですが、そこには「ケイタくんが自分のことをどう思っているのか?」といった感情はなく、ただ自分はケイタくんが好きだというその気持ちだけがあるように思えるのです。

年を重ねるにつれ、自分は相手を好きだけど相手は自分をどう思っているのだろうか…ということを気にしがちです。けれど、大事なのはまず自分の気持ちなのだということを4歳の子どもに教えられました。

「自分が相手を好きなのだという気持ちを大切にして、それから自分がどうしたいのかを考えればよい。」

「相手が嫌だと思うかもしれない、迷惑かけるかもしれない、そんなことはそこまで考えなくてよろしい。」

と、むかーしむかし片想いをしていたときに師匠のような存在の人からアドバイスされたのを思い出します。

 

 

数えきれないくらいの片想い、すべてが楽しかったなあ。

 

そしてこの曲は片想いソングの中でも名曲。

松浦亜弥 - ♡ 桃色片想い ♡ [PV] - YouTube

f:id:butakosan:20170922224730j:plain

自分は年齢的に厳しいのでゆきまるに着せたい。