続々・Twitterというもの(完結)
以前書いて途中になっていた記事の続きです。
かつての自分はアンチTwitter派で、その理由は「リアルで話し相手のいない寂しい人が熱中するものだ」「顔も知らない相手と友情なんて築けるはずがない」と思い込んでいたからだという話でした。
上の記事でひとつめの理由については言及したので、今日はふたつめ「顔も知らない相手と友情なんて築けるはずがない」という思い込みについて書きます。
こちらは私自身昭和生まれなので、このような考え方をしてしまうことは仕方ないのかなという部分もあるのですが…。
たしかに、Twitter上でやりとりしている方のほとんどは顔も本名も年齢も場合によっては性別も存じ上げない方たちです。そのような関係で友だちと呼べるのかという疑問を持つ方はいらっしゃると思います。
しかしよく考えると、昔から顔も知らない相手と友情を築く方法はあったんですよね。小学校の頃読んだ雑誌の「読者のページ」に「文通相手募集」という欄があったのをおぼろげながら憶えています。確か趣味や好きな有名人が書いてあって、「興味のある方お手紙ください、お友達になりましょう。」というような一文が添えられていました。さらに文末には住所と本名が記載されていたはずです。(今考えるとすごい時代ですね。)
かつては手書きの手紙を何通もやりとりして、自分のことを書いて、相手の書いたことを読んで、それですこしずつ友だち関係を築いていたんですね。それがメールになり、ツイートになり、相手から返事がくるまでの時間がどんどん短縮されてきたのですね。一度に送る情報量は手紙、メール、ツイートの順に少なくはなりますが、本質は変わらないはずです。
手紙では友だちになれるのにTwitterでは本当の友だちにはなれない。
ここに説得力のある違いは今のところ見つけられません。
長々語りましたが、何を言いたいかというと。
Twitterってとても面白いですよ。
アカウントを開設しなければ、一生知り合うこともなかった方たち。日本全国にいる、顔も名前も知らない方たち。そういった方たちのおかげで毎日楽しく過ごせています。
そして、応援している田島貴男さんの情報もご本人から発信されますし。
カレー友の冨田ユヅル氏とともにカレー屋へ。うんまかった! https://t.co/Q3LWTLiu0Q
— 田島貴男 オリジナル・ラブ (@tajima_takao) 2017年8月4日
このような感じです。
昔だったら田島貴男さんがお昼ごはんに何を食べたかなんて知る由もありませんでしたね。
そういえば、オリジナル・ラブ『エターナル・リターン・ツアー』札幌公演の翌日、田島貴男さんがピチカート・ファイヴにいた頃からのファンである知人に「昨日札幌ライブの後で感想をツイートしたら、田島貴男さんご本人からいいねをしていただけました(泣)。」と連絡したところ、「ステキ!それは忘れられませんね。昔だったら考えられない。SNS時代の良さです。」と返信がきました。本当にその通りだと思います。
Twitterを始めてみて良かったです。
フォローさせてもらっているみなさん、いつもどうもありがとうございます。