どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

オリジナル・ラブのライブを観て感じたこと

オリジナル・ラブ『エターナル・リターン・ツアー』では札幌公演と東京公演を観に行きましたが、いろいろと思うところがありました。

今日はライブレポというよりは、私が感じたことを書こうと思います。

(セットリストはツアーが終わるまで書かないでほしいという田島貴男さんの希望に沿って、ライブで演奏された曲については、曲名も何の曲かが推測できるような情報も書いておりません。ですが、心配な方はご覧になるのを避けていただいた方がよろしいかと思います。

また、田島貴男さんがMCで話された内容についても、上のような理由で今はまだ記載しておりません。延期になった名古屋でのライブが終わってから改めて記事にしたいと思います。)

 

札幌公演で、田島貴男さんが「札幌どうしたー!?元気ないぞ!!」と観客を煽る場面がありました。

そして観客席に耳を向けてみんなの声を聞くような動きをしたのですが、不思議とその姿に若い頃の田島貴男さんの姿が重なりました。

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YouTubeで何度も観ている『フェアウェル フェアウェル』のライブ動画で同じような動きをしていたのです。

 

東京公演でも同じようなことがありました。

ステージ中央のマイクの前に立って笑顔になった姿に、ニコニコ動画で何度も観ている91年の渋谷公会堂ライブでの姿が重なりました。

動画で観てきた若い頃のクールでかっこつけている田島貴男さんと、私がハマった面白くて親しみやすいたじまんが、自分の中でつながった瞬間でした。

 

そのとき、突然思いました。

 

そうか、私は昔のオリジナル・ラブを知らないから昔の田島貴男さんと今の田島貴男さんが「つながった」という感覚だったのか。

でも今日ここに来ているお客さんたちはほとんどがオリジナル・ラブと一緒に歳を重ねてきた人たちで、そういう人たちの中では田島貴男さんはきちんと連続した存在なんだろうな。

 


ライブ開始と同時に通路にはみ出し、自由な振り付けで踊り狂っている中年男性。田島貴男さんが何か話す毎にとても大きな声で笑っていました。きっと、昔からずっと応援してきたのでしょう。

そう思うと、その男性にも、かつてその方が「お兄さん」と呼ばれていた頃の姿が重なるような気がしました。

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以前、「田島貴男歴はぶた子ちゃんの歳に近いくらい長いですよ。」と教えてくれた年上の知人。(こちらの記事に出てきた知人です。↓)

butakosan.hatenablog.com

このようなことも言ってくれました。

「昔からのファンはもちろん、新しい若いファンが彼を支持してくれているというのは嬉しいし、なんか安心するみたいな感じです。まあ、私が言うのもなんですが。」

昔からのファンの方に「にわかファンが」「新参者が」などと思われず、このように思ってもらえるというのは、新しいファンとしてはとてもうれしいことです。しかしそこで単純に喜ぶだけでなく、昔からのファンの方たちのおかげで今の田島貴男さんがあるのだということをきちんと意識しておきたいと思いました。

田島貴男さんが若くてとんがっていた頃からずーっと好きでライブに足を運び続けている人もいるでしょう。

若い頃に聴いていて、一度離れたけれどまた戻ってきたという人もいるでしょう。

いずれにせよ、自分が好きになるより前の時期にたくさんのファンがオリジナル・ラブを支えてきたから田島貴男さんは音楽活動を継続することができたわけで、だからこそ自分が今こうしてライブを観に来て素晴らしい時間を過ごすことができているわけです。

このような考えがまとまったとき、ライブはちょうど最後の曲にさしかかっていました。

オリジナル・ラブに対してはもちろん、オリジナル・ラブを好きでいる、好きだった、すべてのファンに対してありがとうという気持ちで聴くあの曲は、今までで一番泣けました。


最後の曲を聴きながら、シンガー・ソングライターと呼ばれる人たちが「曲を作り、それを歌う」のはいったい誰のためなのか考えました。
最初は「自分は曲を作るのが好きだ。歌うのも好きだ。俺の歌をだれかに聞いてほしい。」という思いがスタートかもしれません。本人の自己実現、お客さんに「聴いてもらう」という面がほとんどでしょう。
それが、その歌声や作る曲に惹かれる人が現れてきたときに、本人の自己実現という面のみならず、「聴かせてほしい」と思う人のために歌うという側面も出てくるのだと思います。
東京公演で最後の曲を歌う田島貴男さんは、会場にいた数え切れないほどたくさんの人の気持ちや期待や思い出などいろいろなものを背負い、そのたくさんの人たちのために何か目には見えない大きな存在に向かって、しいて言えば音楽の神様のような存在に向かって歌ってくれているように見えました。

 

札幌ではひたすら熱く楽しいお祭りのように思われたオリジナル・ラブのライブ。

東京ではそれだけではなく、何かより神聖なもののように感じられたのでした。

 

 

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