どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

理想の大人

小学校時代の恩師と当時の教え子3人で飲みに行きました。

5年生に進級した時に担任してもらったので、当時は10歳と23歳で13歳差。ランドセルを背負っている子どもから見ると23歳の先生はものすごく大人に見えました。

それが今や30代前半と40代半ばです。あの頃は自分たちよりはるかに年を取っているように見えた先生と、もう昔ほどの年齢の差は感じなくなりました。

お酒が入っていることもあり、あの頃聞けなかった先生たちの裏話や教え子側からの暴露話も出てきたりして、教師と教え子としての関係の他に対等な大人としての関係も新しく築けた気がしてとてもうれしく思いました。

 

 

12歳の時、小学校の卒業式前日にその先生が担任している生徒達を順番に放送室に呼びました。

20歳の自分に何かメッセージをと言われ、緊張しながら、マイクに向かって上ずった声で希望に満ちた内容を話しかけました。

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話したことはこれだけしか覚えていません。(できていませんでしたが。)

そのときにひとりずつ声を録音したカセットテープは、20歳になったら手元に届くとのことでした。

そして8年後。20歳の自分は、落ち着いていて分別があって冷静沈着で気長で寛大。のはずでした。少なくとも12歳の私はそう信じて疑いませんでした。

それでは実際にはどうだったかというと、成人してこそいるけれどそんな風にはなれずまだまだ子どもで、20歳になったときにこのカセットテープのことを覚えていた私は、12歳の自分にごめんよと心のなかで謝りました。

 

21歳の時、大学生活を終える直前の3月のある日、友達(昨日の記事に書いた「応援の先輩」の友人です)と名古屋へ行きました。

10年後の自分に手紙を書くことができる場所があり、そのときの状況や将来に対して抱いている不安を偽りなく綴りました。

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そして10年後。31歳の自分は、落ち着いていて分別があって冷静沈着で気長で寛大。のはずでした。少なくとも21歳の私はそう信じて疑いませんでした。

それでは実際にはどうかというと、結婚して子どもこそいるけれど全然そんな風にはなれておらず、その手紙が手元に届いて読み終わった私は、21歳の自分にごめんよと心のなかで謝りました。

 

いったいいつになったら思い描く理想の大人になれるのだろうとしばしば思います。12歳の頃や21歳の頃と同じようなことで笑って泣いて、同じようなことで怒って悩んで。

こうなったらいっそ80歳の自分に手紙でも書いてみるといいのかもしれません。あと50年弱後ならさすがに落ち着いた大人になっていることでしょう。

でもやっぱり、80歳の自分も

「あの頃思っていた落ち着いたおばあさんからは程遠いでしょ、ごめんよ」

と笑っているかもしれません。

ただ、落ち着いていなくても構わないから、そのときの自分には、それまでの数十年間で経験する嬉しいこと・楽しいこと・心を動かされたことはきちんと覚えていてほしいし、辛いこと・悲しいこと・苦しいことはすべて笑って話してほしいと思います。

そういうおばあさんになれるとしたら、これから起きるであろういろいろなことを乗り越えられるような気がします。

 

ちなみに、12歳のときに録音したカセットテープはまだ先生が持っているとのことでした。聞きたいような聞きたくないような。

 

 

オリジナル・ラブのライブ@札幌まで

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