続・バスでの出来事(完結)
昨日の記事(こちらです。↓)の続きです。
三行でまとめると
「バスの中で大暴れする男児
それをコントロールできない母親
ぶた子、スコップを掴んで注意する」
ということになるのですが。
学生時代であれば、
「あのクソガキ、親の言うことは聞かないし他の乗客に迷惑かけるし、ふざけんなよ!」
と怒っていたと思います。青二才ですね。
それが学校を卒業して働き始めて以降は、
「クソガキはクソガキだけど、親のしつけがなってないんじゃないの?」
という見方をしていたと思います。冷たいですね。
そして自分に子どもができ、その子の第一次反抗期も経験した今。
初めて、
「子どもは親の思惑通りになんて動いてくれない。あの母親は公共交通機関の中でできることはすべてやって子どもを止めようとしていた。母親を責めるのは酷だ。
そしてあの男児は正直可愛げがなくてイライラするけれど、もしかしたら事情がある子どもなのかもしれない。」
と思うようになりました。
かつては「親の言うことを聞かず他の乗客に迷惑をかける子ども」と「自分の子どものしつけができておらずコントロールできていない母親」という風に子どもと母親を別々に独立したイメージで捉えていたのですが、子どもを持つ母親の立場になって「(どういう事情があるのかはわからないけれど)自分の子どもが今現在コントロールできない状態で暴れており、そのような子どもの保護者としてリアルタイムで非常に肩身の狭い思いをしている母親」という、子どもと母親が相互に結びついた形で捉えることをするようになったのです。
実際、あの母親は一生懸命だったと思います。男児の態度は怒鳴りつけられたり、あるいはげんこつや平手打ちされたりしてもおかしくないくらいひどいものでしたが、そういったことはせずに、抑えた口調でなんとか言い聞かせようとしていたのです。私には到底できません。
実は、男児のスコップを振り回しての抵抗ぶりや母親を殴る様子、見ず知らずの他人に向かって唾を吐きかける動作をすることから、尋常ならざるものは感じました。ひょっとすると何らかの診断名がつくような子なのかもしれないと思いましたし、ちょうど児童虐待に関する漫画を読んだ後だったので、「監護者から暴力を受け続けた子どもは大人から暴力を引き出す言動が得意で、暴力を振るわれることで安心する。なぜなら、暴力を振るう者と暴力を振るわれる者という関係性しか知らないためである。」(要約)という記述を思い出し、もしかすると誰かから暴力を振るわれていた・あるいは振るわれている子なのかもしれないとも思いました。
ただ、それはあくまでも私の頭の中での仮説にすぎず、真相はわかりません。
男児がたとえばもし何らかの事情がある子どもだったとしても、あるいは特に事情はなくて普通より粗暴なだけの子どもだったとしても、あのとき私に対して「すみません。」と謝罪した母親に対して何と返事をするのが一番よかったのか…。
「大変ですね」というのは本心ですが、口に出してはいけない気がするし。
「お母さんがんばってますね」では、どこから物言ってんの?というくらい上から目線だし。
無言で怒りっぱなしに見える態度というのは一番避けたいし…。
あの母親には、「ひとりで大変な思いをしなくても大丈夫だよ、小さい子どもが言うことを聞かずに暴れだしたら大変だよね、わかってるから大丈夫だよ」という気持ちを伝えたかったのですが、それはとても難しいことだとは思います。
やっぱり、なんともいえない表情で「いえ…」と言うしかなかったのでしょうか。
数日経った今でもわからないのです。