どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

オリジナル・ラブのライブに行って考えたこと

先日の記事で「オリジナル・ラブのライブに行ってみて、観客のほとんどが自分より上の年代の方たちで驚いた」と書きました。(こちらの記事です。↓)

butakosan.hatenablog.com

 

ライブ初心者の私は、「ライブ」なるものに足を運ぶのは20代の若者がほとんどなのかと思っていました。オシャレな若者たちが「あっ自分音楽けっこう好きっすよ」と言いながら、みんな立ちっぱなしでユラユラ揺れている…そんなイメージだったのです。

このような謎のイメージを持っていたため、先日道新ホールで目にした光景は予想外のものでした。客席に座るのは、自分より年上の、本当に普通の人たちだったのです。そのため、ホールを見回して、「今日は基本は着席して聴いて、激しい曲だけ立ち上がるような流れかな?」と思ったのですが…ライブが始まった直後からその予想は覆されました。普通の人たちが勢い良く立ち上がり、熱狂し始めたのです。

 

つい1年ほど前まで、自分はほぼゾンビでした。

ゾンビというのはもちろん比喩で、毎日幼い子どもたちの世話に明け暮れ、食事を作りゴミをまとめて掃除洗濯をして子どもの送り迎えをして買い物をしてまた食事を作って…といったルーティーンワークに追われるうちに、自分の頭を使っていろいろと思考することも、自分は何が好きなのかということも忘れてしまっているような状態でした。考えることや感じることをせずにただ体を動かしているから、ゾンビです。

 

ある日、子どもを幼稚園に送った帰り道、ふと「私はこのまま年をとっても毎日食事の準備・掃除・洗濯などの今と変わらないルーティーンワークをひたすら、それこそ死ぬまで繰り返すのだろうか。」と思いました。「結婚して子どもができた。家族の世話をすることが自分に求められていることなのだ。私の人生先が見えたな」。そう感じてしまったとき、言葉では言い表せない絶望感に襲われました。

住む家に困っているわけでも、明日食べるものに困っているわけでも、生命を脅かされているわけでもない。そんな自分が今以上のものを望んではいけない。それは贅沢だ。咄嗟にそう自己暗示をかけることで、絶望に飲み込まれないように踏ん張りました。

 

このような出来事があった後に生まれ故郷へ戻ることが決まり、引っ越しの前にまだ自分が妻でも母でもなかった頃の友人たちと会ってたくさん話をし、生まれた街へ戻ってきて、やっぱり自分の生き方をもう一度考えてみようかなと思ったタイミングでハマったのがオリジナル・ラブでした。

 

そして行ってみた、初めて自分でチケットをとったライブ。

そこで大盛り上がりする人たちを見ていると、年をとるってそんなに悪くないんじゃないかなと思えたのです。周りにいたのはきっと普段はそれぞれの役割をこなして普通に暮らしていながら、たまにライブを観に来るという楽しみを知っている人たちです。私もそういう風になりたいと思いました。10年、15年、20年経ったときに今日ここに来ている人たちみたいに楽しく過ごせるように、子どもが小さいうちは自分のことを我慢しなくてはいけないという価値観は捨てて私の人生をすこしずつ取り戻していこう。

そう思ったとき、頭の中である曲が流れていました。

 

“からだの中で 何かが変わる からだの隅々で 古い何かが死ぬ”(『ブロンコ』)

 

 

初めて行ったオリジナル・ラブのライブは、楽しく盛り上がった経験であるのみならず、私にとって非常に意味のある出来事になりました。

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