小さな子どもだけの話
にくまる(息子)が2歳になって1か月たちました。
姉のゆきまるよりも言葉が遅かった彼ですが、2歳になるすこし前から突然話し始めました。
今は「おかあさん、お茶飲みたい。」という程度の文章は話すようになったのですが、面白いのは、
「くるま」は、くぶるぁ。
「サンタさん」は、タンサタン。
「お魚」は、おかさな。
言い間違いが多いのです。
若干気にはなります。
でも、こういう可愛い言い間違いをしているのも幼い頃だけなのだろうと思うと、今のうちに楽しんでおこうという気持ちになります。
ただ。
ゆきまるに泣かされる→にくまる、大声で泣きながら超ダッシュで母を探す、という流れからの、
にくまる「おがあしゃん!!おがあしゃああん!!」
私「おーどしたあー?なんで泣いてんの?」
にく「お、おでえちゃ、おでえちゃっ!!おでえちゃ!!!」
私「おねえちゃんがどしたー?」
にく「く、くぶるぁっ!くぶるぁ、くぶるぁ!!!」
私「お姉ちゃんに車とられたの?」
ゆきまる「ちがーう!!!にくまるが、ゆきまるの持ってた車を無理やり取ったから、ゆきまるが取り返しただけー!!!ゆきまる悪くなーい!にくまるだけが悪ーい!!」(別室で絶叫)
こういう姉弟ゲンカの最中の言い間違いはハッキリ言って面白すぎるので勘弁してほしいです。
幼い頃だけといえば、
幼稚園児の頃、幽霊が見えました。
正確にいうと、「何か」が浮かんでいるのをよく眺めていました。
当時は母・弟・私の3人で和室に布団を敷いて三人で眠っていたのですが、その部屋の対角線上にいつも流れていくのです。「何か」が。
その頃は幽霊という概念も、また、それが怖いものであるという先入観もなかったため、
「あ、今日もいるな」
と思って飽きもせずぼーっと眺めていました。
色はセピア色で(というか、そのときは部屋全体がセピア色になっていたような気もします)、馬や魚やいろいろな動物、人間、車などがいました。大きさはおそらく数十センチです。
イメージとしては、メリーゴーラウンドを回さないで部屋の角から反対の角に向かってまっすぐに流しているような感じ。
それを、いつも朝寝坊する母がまだ眠っている朝、弟と一緒に眺めていました。
その後成長し、気づいたときには見「それ」は見えなくなっていました。
いったいあれはなんだったのか。
大人になってからふと思い出し、弟に聞いてみました。あれを見たというのは捏造された記憶なのか、それとも。
「ああ、憶えてるよ。一緒に見てたよね。」
アッサリと弟は答えました。
何を見たのか聞いてみたところ、色や大きさ、ひとところにとどまらず流れていくということ、その数や形といい、私の記憶に残っている「何か」と同じでした。
弟と私は一体何を見ていたのでしょう。
今でもわからないのです。
もしもご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
国際結婚についての話
昨日の夜、スペースシャワーTVでたまたまKinKi KidsのMV特集をやっていました。
まだ始まったばかりだったので、もしや大好きなあの曲もやるかなと思ってドキドキしていたら…
きたああーーー!!!
あーー『シンデレラ・クリスマス』、最高です。
この頃の堂本剛くんの物憂げな笑顔に母性本能をくすぐられます。YoutubeでMVを観られないのが残念…。
前奏を聴くと瞬時にこの曲がリリースされた中学生の時の自分に戻ってしまいました。
『シンデレラ・クリスマス』という曲名もいいんです。乙女心を刺激されるのです。
この曲を聴きながら、いつかイケメンの王子様が迎えに来てくれるのを待っている、そんな時代がありました。どうも、元・シンデレラになりたかった乙女です。
まさか、約10年後には
「欲しいものは自分からグイグイ手に入れに行く。」
という方向にシフトチェンジするなんて当時は思いもしなかったろうな…。
今日はそんな風にして手に入れた夫の話をします。
我が家は国際結婚です。
夫は韓国系です。
出会った時には日本の名前ではなかったので、ああ外国の人なんだなと思っていました。けれど、だからどうということはなく、その後付き合うことになったときもそのこと自体はあまり気にはしていませんでした。
というのは、彼は韓国語を全く話すことが出来ず、日本語しか話せなかったのです。また、ワールドカップやオリンピックでは韓国ではなく日本を応援するというのです。通っていた学校も、地元の公立の学校と、そこを卒業してからは普通の私立の学校でした。
なんだ、日本人と同じじゃないかと思ったのですね。
しかし付き合い始めて間もないある日。
忘れもしないお台場のレストランで、彼があるものを見せてくれました。
『外国人登録証明書』
手にしたカードにはそう書かれていました。
そうか、この人は「外国人」なんだ。
いや、国籍が韓国っていうだけでもうほとんど日本人じゃないの?
でも「ほとんど日本人」って言われるのは、この人にとっては嫌なことだったりするのだろうか?
生まれて初めて、そんなことを考えました。
国籍という単語はもちろん耳にしたことがあります。けれど、自分の国籍について考えたことなんてただの一度もありませんでした。意識したことすらありません。日本人の父と日本人の母の元に生まれ、父方の祖父母も、母方の祖父母も、皆日本人だったからです。
日本人の定義とは一体何なのでしょうか。
昔は「日本国籍を持っている人」だと思っていました。
確かにそういう分類の仕方もあると思います。
しかし、帰化は決められた要件を満たせば認められるものです。帰化申請が通って日本国籍を取得したけれど、生活様式や習慣は日本国籍取得前の国のもので、話す言葉も日本語ではなくもっぱらその国の言葉だとしたら?
私は、それは形式的には日本人だけれど、実質的には外国人のままだと考えます。
日本人の定義とは。
今なら、たとえ日本国籍を取得していなくても、「日本語を話し、さらに、日本語で思考する人(=頭の中で独り言を言うときにも日本語で話している人)。」は実質的に日本人だと言えるのではないかと考えます。
けれど、そういった人に
「あなたはもう実質的に日本人ですね」
と言ってよいのかというとそれは別の問題で。
言われたくない人もいると思うのです。
そんな心境も、自分にはなかなか想像がつかなくて。
彼が「僕は外国人だから」と言うたびになんともいえない心境になったりして。
そうこうしているうちに月日は流れ、ひょっとして自分たちは結婚するかもしれない、そんな流れになりました。
私は頭を抱えました。
母は交際当初から彼のことを知っていましたが、父は娘に恋人がいることを知らなかったのです。なぜ父に言えなかったのか。それは、父が韓国に対して悪いイメージを持っていたこと、そして、外国人と結婚するなんて言い出したら縁を切るかもしれない、かつてそう語っていたことが原因でした。
つづきます。
プレイボーイの話
前回の記事に書いた飲み会。
もうひとり参加者がいました。
私の友人知人たちの中では最もプレイボーイな男・C太郎です。
学生時代は「まあ軽くてつかみどころのない男だわー」という印象で、でも女性関係が乱れているわけでもなかったのですが、卒業後からエンジンがかかったようで。
数年前に会ったとき。「最近どうよー?彼女いるの?」と尋ねると、彼女が2人・セフレが1人いる、とのことでした。しかも、後者は既婚女性で、かつ1歳に満たない子どももいるというのです。
なにをやってるんだC太郎。
それから約1年後。「最近どうよー?去年付き合ってた人たちとはまだ続いてるの?」と尋ねると、全員と別れて、新たな彼女が2人・セフレが2人いる、とのことでした。
だからその彼女が2人とかセフレが2人とかって何なの!?
そして先日。
私「最近どうよー?去年付き合ってた人たちとはまだ続いてるの?」
C太郎「1人しかいないよ。他は全員切った。」
私「え、なんで?」(という質問はおかしいといえばおかしいのですが、彼の場合複数同時進行が当たり前という印象なのでつい聞いてしまいたくなります。)
C太郎「彼女のうちのひとりにバレて、切れって言われてさ。あーでも1人くらい残しときゃよかったなー!」
私「…。」
友達なので、「うっわサイッテー!!」と苦笑いしながら聞いていますし、年に一度近況を聞くのが『C太郎定点観測』みたいな感じで恋愛市場から引退した退屈な専業主婦にとってはもはや娯楽の一つとなりつつあるのですが、もし自分の女友達の彼氏がこんな感じだったらものすごく憤りますよね。女の敵!
私自身は昔から洒落にならないくらい無駄に真面目で一途で、それが重すぎるという側面もあったのですが、同時に複数人と付き合うというのは自分の価値観ではありえないことでした。だって、きっと二股なり三股なりかけられた側は悲しいと思うんですよ、単純に。自分が好きな人・自分を好きになってくれた人にそういう悲しい思いはさせたくないです。というか、そういう仕打ちをできる時点で好きじゃないんじゃないかと思うし、それならば付き合わなければいいんじゃないかという結論になってしまうのです。
でもC太郎は違うんですね。
バレても反省せずに、「まさかあんなことでバレるなんてなあ~」「あー1人くらい残しときゃよかった」と思うんです。
今まで10年以上もの間、別に気にならなかったのに、今回初めてものすごーく気になりました。
なぜC太郎はこういうことをするのだろう。
すべての行動には理由があると思っているのですが、彼がこういう恋愛パターンを繰り返すのは何故なのだろう。
という問いの立て方をしている自分の深層心理には、「ひとりの人としか交際しない・関係を持たない自分=正常、正しい立場」で「そうではないC太郎=異常、間違った立場」という意識があるのだろうか。でもそれが正常・異常かというのはいつ誰が決めたのだろう。
C太郎と会って以来、そんなことを暇なときにぐるぐると考えています。
そういえば、C太郎のことを「女の敵!」と罵りましたが、彼の行動力だけは尊敬しています。
C太郎には「出会いがない」という言い訳は通用しないようです。
好きだった人に会った話
「男って◯◯よね」
「女って△△だよな」
というように一括りにしてしまう言い方がすこし苦手です。
たとえば、恋愛について
「男は『名前をつけて保存』、女は『上書き保存』」
という風に表現しているのをよく聞きますが、自分は思いっきり『名前をつけて保存』派です。
心の中に本棚があって、好きだった人たちの名前が書かれた本がずらっと並んでいて、「じゃあこれを読もうかな」とその中の一冊に手を伸ばし頁を開けば、その人を好きだったときの記憶が鮮やかに蘇ってくる、そんな感じです。思い出は大抵美しく脚色されているので、すべて自分が主人公の、どんな小説よりもドキドキする物語。みんな実際よりイケメンに補正されているのもポイントです。
そんな歴代好きだったメンズ達の中のひとりに会ったときの話。
A男・B介・私。
学生時代に仲が良かったメンバーで飲みました。
よくこの3人で車を借りてドライブしたり、やっすい居酒屋に飲みに行ったり、誰かの家で朝まで飲んだくれたりしていました。A男もB介も彼女がいなくて私も彼氏がいなかったのですが、「このふたりにずっと彼女ができませんように。そしたら3人でずっと一緒にいられるから」、そう思うくらいふたりのことが好きでした。
しかし物事そううまくはいかないもので、A男が好きだった女の子(X美)がB介に告白→A男とB介険悪に→B介、X美と付き合い始める→A男とB介絶縁…という流れに。さらには、私がA男を好きになって、振られる。…という出来事がありました。
内輪でグッチャグチャな、まあよくあるといえばよくある青春を繰り広げたわけです。
そうはいっても、A男に失恋した後も、元々が友達なので普通に会ったり飲んだりしています。先日もあえて昔よく行ったやっすい居酒屋に行きました。そこで上に書いた出来事について話す流れに。
私「あのさー、普通あの3人でいたらA男とB介が私を取り合うみたいな展開にならぬ?どう考えたってX美より私じゃん?」(大した自信である。もちろんジョークです。)
B介「いやそれは…」
A男「うーん…」
私「なにそれ。言い淀んでるんじゃないよ。ねえふたりともなんで私を取り合わなかったの?参考までに教えてよ!」
B介「ぶた子とは、世界が違うと思ってたんだよ。
派手で怖くて、KAT-TUNの赤西くんが好きで、読モやってる◯◯くんが好きとか言ってたでしょう。だからぶた子と付き合うのはそういう感じの人だと思って。もうぶた子は姉御、みたいな」
私「ああ…そうだったね。ケバくて怖くてごめんね。」
A男「ぶた子は隙がなかったんだよな。」
私「隙」
A男「かっこ悪いところやダメなところは他人に見せまいっていう感じあったでしょ」
私「そうだねえ、今思えば。あーもう超かわいくなーい!」
A男「ぶた子は結婚して子どももできた今の方が余裕があっていいと思うよ。」
私「そう…」(かわいげない女子ですみませんでしたと思ってテンションがすこし下がる。)
B介「うん、わかる。でもさ、ぶた子がああいう感じだったから友達として仲良くできたんだよね」
A男とB介の話を総合すると、
「同じようなグループではない(と認識している)女子は基本的に恋愛対象ではない」
「隙がない女子は恋愛対象として認識しにくい」
ということでした。
B介は事ある毎に「ぶた子は怖かった」と言うので、そんなに怖かったかなあと思って当時のプリクラを探して見てみたのですが、
うん、こりゃ怖えーわ。ヒョウ柄アイテム4つくらい同時に装備してたし。
当時は、自分は一体何と戦っているのだというくらいいつも構えて生きていたような気がします。幼少期に反抗期がなかったので、遅れてきた反抗期っていうやつでした。本当に。自我が芽生えてきたので、せっかく生まれたそれを壊されないための鎧を着ていたのかな。
今はいろいろどうでもよくなったのです。肩の力が抜けたのです。だから、見た目もマイルドになったのだと思います。もう戦う必要がないから。
ただ、いろいろどうでもよくなったのも、肩の力が抜けたのも、見た目がマイルドになったのも、すべて今の夫と交際し始めてから徐々に起きた変化なのですね。
彼氏ができてから、あるいは結婚してからの方が一般的にモテる要素を備えていてもしょうがないんじゃないの!?
でも、結構人生ってそういうところあるのかもしれません。
とりあえずわかったのは、親しみやすい外見で隙がある方がモテる。可愛げがある方がいいということですね。昔好きだった人に言われたので、ちょっと重みがありました。
いつか我が娘に教えたいです。
だけど、モテることと異性を見る目があることとは関連性がないのも真実なんだよなあ…。
ああ、男と女って難しい。
『接吻』の歌詞についての話
オリジナル・ラブの代表曲として有名で(オリジナル・ラブを知らなくてもこの曲は聴いたことがある、という人も多いです)、今もライブではかなりの頻度で歌われる名曲『接吻 -kiss-』について。
初めて聴いたのはたしか大学生の頃でした。
「は、はわわーーー熱いラブソングだなあ~(照)」
と思ったものです。
♫長く甘い口づけを交わす って!
きゃああって両手で顔を隠しちゃう感じ。でも指の隙間から覗いちゃってる感じ。ピュアな小娘だったもので。
そんな自分にはなかなか衝撃的だった歌詞。メロディーも甘くてどこか気だるげで、ああ大人の世界だなあと思いました。
同じ頃に中島美嘉さんによるカバーを聴き、それから10年以上経った今年の春にオリジナル・ラブにハマって、随分久しぶりに聴いてみたのですが。
30歳を過ぎてから初めて歌詞をちゃんと読んでみると、当初描いていたイメージとはかなり異なる印象を受けました。
小娘だった頃は熱烈な愛情を表現した情熱的なラブソングだと思っていたのですが、今はむしろ情熱的に誰かを求める瞬間の美しさを描いた肉欲の歌だと感じています。
特に2番のサビに入る前の、
♫焼けるような戯れの後に 永遠に独りでいることを知る
この部分、秀逸です。
「賢者タイム」をこんなにも詩的に表現できるのかと。
(「賢者タイム」をご存知無い方は検索お願いします。)
ものすごく荒々しく求めてきたのに、いろんなことが済むやいなや起き上がってベッドサイドに腰掛け、こちらに背中を向けながら無言でタバコをふかす男性の姿や、両手を頭の後ろで組んで横になりながら天井をぼうっと見上げる男性の姿が想像できてしまうのです。(そういうタイプの男性には出会ったことがないのにもかかわらず、です。)
こういうのは小娘だった自分にはわからなかっただろうなあ。
買い物に出かける車の中でこの曲が流れたので、夫に尋ねてみました。
私「ねえ、最近ずっと考えてるんだけどさ、この曲の中の『あなた』と自分とはどういう関係性なんだろう?あなたとは刹那的な関係なのだろうか?」
夫「うーん。
そこまでではないかもしれないけど、永く続くことはないと思ってるような関係なのかもしれないね」
なるほど。
ずっと愛し続けたい相手への情熱を表現した曲という風に捉えることもできるけれど、むしろその瞬間「あなた」を求める感情の猛烈な昂ぶりを表現した曲と考えたらしっくりくるような気がしました。
(ずっと愛し続けたい相手に向けた曲といえば『朝日のあたる道』がそうだと思います。)
真相はわかりませんが。
すこし前に読んだAV男優さんのコラムに「セックスの本質は孤独の克服だ」と書かれていました。孤独を克服するために、2人が肉体を通して深くつながる行為だと。
でも、やっぱりそれが終わると「永遠に独りでいることを知る」んですね。
うーん。深い。
こんな大人の歌を往来で突如大声で歌い出す2歳児はまずいかもしれません。
岡村ちゃんデビュー31周年
昨日は岡村ちゃんのデビュー31周年の日だったそうです。
フォローしている方の半分がベイベさんであるTwitterのタイムラインは岡村ちゃんへのお祝いメッセージで溢れていました。(ベイベ=岡村ちゃんのファンのことです)
31年かあ…長い。長いなあ。
岡村ちゃんのデビューは1986年。
私の弟が同じ月にオギャーと生まれました。そのとき、姉である私はまだ2歳にもなっていなくて。そんな幼児が成長して思春期を迎え、岡村ちゃんのソングばりにいろいろな恋をしては破れ、最終的にひとりの男性と結婚してふたりの子どもの母になっているくらい長ーい期間です、31年って。
岡村ちゃん、ずっと元気で活躍してください。
でも岡村ちゃんは今年52歳なんですよね。
50代の人が身近にいないので、たまに町内会の集まりや夫の仕事の会合に同伴するときに50代前半の人がいると、
「町内会のたじまん」
と思って眺めているのですが、皆さん大抵おじさんおじさんしていて(一般人なので当たり前ですね。)、さらにはもうおじさんというよりはおじいちゃん寄りなんじゃないかという感じの方もいたりなんかして、毎度そろそろ倒れるんじゃないかと思うくらい激しいパフォーマンスをする田島貴男さんや、80年代と変わらずキレッキレのデンスをする岡村ちゃんは常人離れしているのだなあとしみじみ実感してしまいます。
そういえば、10月のひとりソウルショウの後は「たじまんナイト」と称して飲み会を開催したのですが、参加者が
・たじまんファン仲間さん(夏のオリジナル・ラブのライブで初めてお会いした方)
・札幌ベイベさん
・札幌ベイベさんの旦那さん(以下「ベイベ夫さん」といいます)
そして私の4人でした。札幌ベイベさん&ベイベ夫さんとは初対面。実におもしろいメンバーです。異業種交流会みたいな。
ライブハウスから飲み会の会場まで4人連れ立って歩いて行ったのですが、「若い頃オリジナル・ラヴを聴いていた」というベイベ夫さんが興奮気味に言いました。
「田島さんって昔はクールでかっこいいイメージだったんですよ。でも今日はものすごく面白くて驚きました。
で、あの5人出てくるあれ、すごいと思います。田島さんひとりでまずどれかのパートをやって撮影して、出来具合を確認して、気に入らなかったら納得行くまでやって、そして次に別のパートに取り掛かって。それを5人分って、ものすごーく手間のかかる作業ですよね。それを田島さんがひとりで一生懸命真っ剣にやったんだなあと思うと……ぐっときました。」(ざっくりまとめるとこんな感じ)
あっ!そこ?そこ気づいてくださった?
ベイベ夫さん…なんていい人なんや。
この後のたじまんナイトが盛り上がったのは言うまでもありません。
ベイベ夫さんは3月のたじまん弾き語りに行く気満々らしいです。素晴らしい。
そして私はというと、同じくたじまん弾き語りに行くのはもちろんなのですが(ファンクラブにてチケット予約&支払済)、たじまんナイトでお話させてもらった札幌ベイベさんの影響もあって、
来年5月に岡村ちゃんと念願の初DATEの約束をしてしまいました。
(岡村ちゃんとDATEの約束=岡村ちゃんのライブに行く、という意味です。)
たじまんのライブに行く人がひとり増え、岡村ちゃんとDATEする人もひとり増え、実り多いたじまんナイトとなったことに密かに満足しております。
3月のたじまん弾き語り、5月の岡村ちゃんとの初DATE、これらを楽しみに厳しい冬を乗り越えようと思います。(只今の気温、氷点下4度。)
キモいと言いまくっていた詳細はこちら。↓
ひとりソウルを振り返って・その弐
前回からの続き。
『フレンズ』について熱く語りすぎました。
セットリストはブログやTwitterにアップされている方がいらっしゃるのでここでは書かないこととしまして(というか全然覚えきれませんでした)、『フレンズ』のほかに印象的だった曲を挙げると、
『million secrets of jazz』
→まさかこの曲が聴けるとは!!ものすごくかっこよかったです!
特に♫生きてゆけるのは~、の部分のギターが最高でした。
これと『フレンズ』はもう一度観たい。求ム映像化。
『Tender Love』
→たじまんと木暮さん(たじまんの高校時代からのお友達であるギタリスト)が踊りまくるMVがかわいい名曲ですが、ふたりのダンスがなくてもやっぱり名曲なんだと再確認しました。メロディーがじんわり胸にしみてきました。
『Body Fresher』
→ひとりソウルといえばやっぱりこの曲!と思っていたので聴けてうれしかったです。しかしカッコよくまとめずに、おどけながら顔をペチッと叩くパフォーマンスが入ってきて、つい大笑いしてしまいました。
『IN THE MOOD』(カバー)
→MCで
「ギターのインスト曲なんですけども、えー、新しい可能性を感じていただければと思います(笑)」
と、ちょっと照れくさそうにされているのが良かったです。
ギター一本でこんな豊かな音を出せるものかと思いました。
演奏中の表情(ドヤ顔と楽しくてたまらない顔をミックスした感じ。)がこれまた素晴らしかったです。
今回のひとりソウルではアンコールで新曲が披露されたのですが、それと前後して
「曲は作ってます。結構できているんで、えー、忘れた頃に(アルバムを)スッと出そうと思います(笑)。」
と言われていて、そういえばデビューから何年かは毎年アルバムを出していたはず…しかも同じような曲を収録したものではなく都度カラーががらりと変わり、なおかつクオリティが維持されていたということがものすごく異常な気がしてなりませんでした。
ライブの最終盤、ダブルアンコールは『夜をぶっとばせ』。
いつも観客皆を巻き込んだ大合唱になるのですが、ライブのときは1番と2番の間の「♫ララララ~ララ~ラ~ラ」のところがオリジナルより長めなのですね。なので2番に入る直前に「転調します!」と教えてくれることがあります。それが今回は「転調!」だったような気が。ちょっと気さくな感じがたまらないです。
そういえば何の曲か忘れてしまったのですが、観客が手拍子していたらそのテンポに引っ張られそうになってギターが弾きづらかったのか「待て、焦るな!」「早まるな!」とか言われて笑いました。(もちろん厳しい口調ではなくて笑いながらです。)
途中でサングラスをかけたときも、
お客さん「TAKA~!」
たじまん「今日はTAKAじゃない(笑)」
といったやりとりがあって和みました。
※去年のひとりソウルに「田島貴男さんの親友である三代目ひとりソウルブラザースのTAKA」がシークレットゲストで出演したのですが(もちろん田島貴男さん本人による一発芸仮装です)、TAKAがサングラスをかけていたことを踏まえてのお客さんのツッコミです。でも本当にTAKAじゃなかったという。
ひとりソウル@札幌は、ライブハウスならではの距離が近い感じがすごくよかったです。今回はたまたま最前列のセンターで観ることができましたが、そこまで前でなくても十分ステージを近くに感じられて楽しめるのではないだろうかと思いました。
え、じゃあ今度は番号が後ろの方になってもいいのかって?
それとこれとは別の話ってやつですよ。
来年のひとりソウルもできるだけ前の方で観たいなあ!
どこまでも果てなく欲深い自分。