どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

続々・Twitterというもの(完結)

以前書いて途中になっていた記事の続きです。

かつての自分はアンチTwitter派で、その理由は「リアルで話し相手のいない寂しい人が熱中するものだ」「顔も知らない相手と友情なんて築けるはずがない」と思い込んでいたからだという話でした。

butakosan.hatenablog.com

上の記事でひとつめの理由については言及したので、今日はふたつめ「顔も知らない相手と友情なんて築けるはずがない」という思い込みについて書きます。

こちらは私自身昭和生まれなので、このような考え方をしてしまうことは仕方ないのかなという部分もあるのですが…。

たしかに、Twitter上でやりとりしている方のほとんどは顔も本名も年齢も場合によっては性別も存じ上げない方たちです。そのような関係で友だちと呼べるのかという疑問を持つ方はいらっしゃると思います。

しかしよく考えると、昔から顔も知らない相手と友情を築く方法はあったんですよね。小学校の頃読んだ雑誌の「読者のページ」に「文通相手募集」という欄があったのをおぼろげながら憶えています。確か趣味や好きな有名人が書いてあって、「興味のある方お手紙ください、お友達になりましょう。」というような一文が添えられていました。さらに文末には住所と本名が記載されていたはずです。(今考えるとすごい時代ですね。)

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かつては手書きの手紙を何通もやりとりして、自分のことを書いて、相手の書いたことを読んで、それですこしずつ友だち関係を築いていたんですね。それがメールになり、ツイートになり、相手から返事がくるまでの時間がどんどん短縮されてきたのですね。一度に送る情報量は手紙、メール、ツイートの順に少なくはなりますが、本質は変わらないはずです。

手紙では友だちになれるのにTwitterでは本当の友だちにはなれない。

ここに説得力のある違いは今のところ見つけられません。

長々語りましたが、何を言いたいかというと。

Twitterってとても面白いですよ。

アカウントを開設しなければ、一生知り合うこともなかった方たち。日本全国にいる、顔も名前も知らない方たち。そういった方たちのおかげで毎日楽しく過ごせています。

そして、応援している田島貴男さんの情報もご本人から発信されますし。

このような感じです。

昔だったら田島貴男さんがお昼ごはんに何を食べたかなんて知る由もありませんでしたね。

そういえば、オリジナル・ラブ『エターナル・リターン・ツアー』札幌公演の翌日、田島貴男さんがピチカート・ファイヴにいた頃からのファンである知人に「昨日札幌ライブの後で感想をツイートしたら、田島貴男さんご本人からいいねをしていただけました(泣)。」と連絡したところ、「ステキ!それは忘れられませんね。昔だったら考えられない。SNS時代の良さです。」と返信がきました。本当にその通りだと思います。

 

Twitterを始めてみて良かったです。

フォローさせてもらっているみなさん、いつもどうもありがとうございます。

CDを聴かない方へ

夏も真っ盛りで、連日各地で音楽フェスが開催されています。

昨日は石川県白山市で開催された『白山一里野音楽祭』に、今日は福島県猪苗代湖畔で開催された『オハラ☆ブレイク』に田島貴男さんが出演されました。すごいスケジュール…。

どちらも札幌から遠すぎるので観に行くことはできませんでしたが、Twitterのフォロワーさんからのツイートやリツイートによってリアルタイムで様子を知ることができました。

「リハーサル始まりました!」

「ギターかえた」

「『フリーライド』きたああ!!」

などなど、本当に実況中継です。写真撮影可の場合には、とっておきの写真を添付してくださる方もいます。何という便利な時代でしょうか。

ミュージシャンや俳優女優、スポーツ選手など誰かのファンならばTwitterのアカウントは持っておいたほうがいいですね。同じ人を応援している方とつながることができれば、テレビやネットには出てこない情報をリアルタイムで得られるようになるので。また、ライブがあったときには自分からも感想などを発信してファン同士で盛り上がることができ、とても楽しいですよ。

 

先日、田島貴男さんに興味を持ってくださったベイベのフォロワーさんとのやりとりの間で出た話題なのですが、Amazonプライム会員になっている場合のAmazon Musicはとても充実しています。

たとえば友だちにオリジナル・ラブを聴いてみてほしい場合、いきなりCDを買ってみてと言うのはやっぱりはばかられます。アルバム1枚の値段は数千円。私にとっては今でも決して安い金額ではありません。初めてアルバムを買う時にコツコツ貯めていたお小遣いから費用を捻出した記憶や、そうして買ったアルバムを宝物のように扱っていた記憶があるので、アルバムを買うというのは自分の中でいまだにどこか特別なイベントなのです。

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もちろん、それを制作するまでにミュージシャンを含めいろいろな方が大変な思いをしてきていること、そうして完成したアルバムが汗と涙の結晶であること、これらの事情を考慮すれば数千円という値段は決して高くはないことはわかっています。わかっていますが、ただ、そうはいっても…というところです。自分自身がそう思っているので、まだオリジナル・ラブのファンではない友だちに「アルバム買ってよ~」とは言いにくいのですね。

ところが。

これがAmazonプライム会員の友だちだったら。

Amazon Musicオリジナル・ラブを検索してみて!」

と言えるのです。

そう。

なんと。

Amazonプライム会員がAmazon Musicで聴ける曲リストの中に、オリジナル・ラブのシングルやアルバムもたくさん含まれているのです!!!

8月6日現在、ダウンロードできるのはこちら。

シングルは、『夢を見る人』、『Words of Love』、『GOOD MORNING GOOD MORNING』、『STARS』、『Dear Baby』、『冒険王』、『R&R』、『Crazy Love』、『恋の彗星』、『美貌の罠』、『Tender Love』、『沈黙の薔薇』、『明日の神話

アルバムは1st『LOVE!LOVE!&LOVE!』、2nd『結晶』、3rd『EYES』、4th『風の歌を聴け』、6th『Desire』、8th『L』、9th『ビッグクランチ』、10th『ムーンストーン』、12th『街男 街女』、『XL』

アルバムがこんなにたくさん聴けるのがポイントです!

 

Amazonプライム会員でオリジナル・ラブを聴いたことがないという方。

ぜひ一度Amazon Musicで聴いてみてください!

 

最初に聴くなら1st『LOVE!LOVE!&LOVE!』か2nd『結晶』、4th『風の歌を聴け』がオススメです!!

 

注・Amazonの宣伝ではなくてあくまでオリジナル・ラブの宣伝です。

 

思い込みについて

先日、夫が誕生日を迎えました。

ここ数年は毎年「やべーもう3X歳だ、やべーな!」と言い続けては私に「やばいと思うなら何かしなさい。」と言われてしまう夫ですが、ちょうどすこし前に、

ぶた子「岡村ちゃんが35は中年だって歌ってるんだけど!!35って中年なの?」

夫「35は中年だろ。」

ぶた子「それでは自分が中年だという自覚は?」

夫「お、おふっ……!!」

という会話が交わされていたので、より感慨深い誕生日になったことと思います。

 

ゆきまる(娘・4歳)が「おとうさんにお誕生日のお手紙書く!」と言って机に向かって何やら一生懸命作業していたのですが、得意げに見せてくれたポストカードにはこう書かれていました。

 

おどうさんえ

おとうさん

おたんじょうび

おめれとう

よるはやく

えてきてあしの

うらこょこょして

(色を変えているところも含めて原文ママ。)

 

話は脱線しますが、「原文ママ」を見るたびに、「『原文(はらふみ)パパ』もいると思ってた。」と誰かが話していたのを思い出します。

そして、思い込みつながりで、小学校からの付き合いでものすごく勉強の不得手なヨシキ(仮名)という友だちがつい最近、

「領収証に上様って書くべ?あれさ、俺ずっと上っていう名前のなんまら(=とても)金持ちの人がいると最近まで思ってたんだよな。いろんな人と飲み会行ったら、上様その場に一度たりとも来てねえのに支払いのときだけすげえ頻繁に名前出てくるから、『うわ、今日も上様に支払いさせんのかよ!来てねえのに!』『えーこの人も上様に払わせんの?上様って人、どんだけ金持ちでどんだけいろんな人とつながってんだよ!!そもそもみんなに様付けで呼ばれてるしすげえな!!』ってマジで思ってたよ。」

と真顔で話してくれたのを思い出します。ヨシキは真面目で気のいい優しい人間だし、発想が自由で面白いので大好きな友だちです。

 

話が脱線しました。

ゆきまるの手紙を読んだとき、思わず(ゆきまるにバレないように)吹き出してしまいました。

「こょこょ」というのは「こちょこちょ」と書きたかっただけで一種の書き間違いなのですが、彼女の中では「おとうさん」が「おどうさん」、「おめでとう」が「おめれとう」になっているのだということを初めて知ったのです。これらは会話の中では気づくことがなく、文字になったときに初めて気づきました。
そういえばゆきまるが以前、「幼稚園にいくまえの準備の表をつくる。」と言って自分で何を準備したらよいのかいくつか項目を考えて書いていたことがあるのですが、ある欄に「ゆくおしょう」と書いてあり、それが「リュックをしょう」であることに気づいたときには感動すら覚えました。

ゆきまるにかかれば、『ラヴァーマン』もこうなります。

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(「田島貴男さんのらぶまのコンサートの絵」)

 本当は「♪ラヴァーマン 胸に矢が刺さっている男」です。

 

そういえば私もかつて子どもだったころ、母が耳掃除をしてくれたときに「耳垢がこびりついてる」と言ったのを聞いて、「こびり」という名前のものが耳の中にくっついているのだと思っていたそうです。

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子どもの思い込みは面白いですね。

 

 

おばさんに告ぐ

タイトルを見てイラッとした方、身構えた方はいらっしゃいますか?

大丈夫、私もおばさんだから厳しいことは書きません。

 

先日、幼稚園にゆきまる(娘・4歳)を迎えに行った帰り道。ゆきまるのお友達が声をかけてくれました。

お友達「ゆきまるちゃんバイバーイ!おばさん、バイバーイ!!」

ヒャー!!!

お友達のママ「(慌てて)おばさんじゃないでしょ!ママより若いのよ!!

うん、それお子さんにとっては全然重要じゃないと思います!!!

 

誰かに面と向かって「おばさん」と言われるのは実は初めてでした。いやあ不意打ちでしたね。その日はおばさん記念日になりました。

 

記念日を祝して、これまでに「自分はもうおばさんだ」と感じた瞬間を振り返ってみようと思います。

25歳、冷え症になったとき。いえ、このときはまだ大丈夫でしたが、上の子の妊娠中、人生初の白髪が一本生えていたときは目眩がしそうになりました。同じ頃こめかみにシミができて、このときも気絶しそうになりました(先日無事除去することに成功)。その数年後、朝からお化粧直しをしないままだった顔を夕方鏡に映してニッコリ笑ってみると、目尻にシワが出てきて青ざめました。あとは徹夜できなくなったとか、疲れがとれにくくなったとか、慢性的に肩こり・腰痛に悩まされるようになったとか…肉体は確実に老いていっていますね。もう30年以上ろくなメンテナンスなしに使い続けているのだから仕方ないですね。

 

けれど、自分の中で強く記憶に残っているのは、肉体の変化より意識の変化なのです。

28歳のとき。梅田にあるおしゃれな洋服屋さんでコートを購入しました。支払いをしようとPinky Girlsの紫色のお財布(とってもかわいい。)を出したときのことです。若いイケメン店員さんに言われました。

f:id:butakosan:20170803230230j:plainな、なんと…!!このイケメンさては、「おばさんなのにこんな可愛いお財布使ってるよ、ひひひ」とか思ってるのかな。一瞬そう考えてしまったときに、そんな自分に愕然としました。昔の自分なら、「イケメンにお財布可愛いって言われちゃった、えへへ。」と素直に喜べたのではないか?

そして、咄嗟に母のことを思い出しました。というのは、母がいっとき僻みっぽくなったというか被害妄想がいささか激しくなったことがあるのです。(お母さん、ブログにこんなことを書いてしまってごめんなさい。)当時「で、出ましたー!おばさん特有の被害妄想!!」と笑っていたので、自分が同じような思考をしてしまったことに気づいて「Oh...ついに…。」と思いました。

被害妄想が激しくなってしまう原因は何なのでしょう。こればかりは避けたいと思っています。切実に。

あとは、ママ友さんや新しく知り合った人と年齢の話になったとき、「いくつに見える?」と言いたくなってしまうことに気づいたときですね。もうこれは完全にアウトだという自覚があります。でもやめようと思ってやめられるもんじゃないんだよ(怒)!!!

 

さて、今の私のおばさんレベルはというと、「自分で自分のことをおばさんと言うのはいいけれど、他人に面と向かって言われるとちょっと嫌だなー」という段階です。しかし、上に書いたような経験を積むことで、いつしかおばさんの自分を受け入れ、他人から面と向かっておばさんと言われても平気になるのはもちろん、シミやシワさえも「これが私の生きてきた証なのよ。」なんてすまし顔でハリウッド女優みたいなことを言っちゃうようになるのでしょうか。ええ、きっとそうですね。今よりもっとおばさんになっている自分に告げておこう、そうでないと困るのだよ。

…待てよ、でもシミやシワを「これが私の生きてきた証なのよ。」なんて言えるようになっている頃には、次なる難問「いつからおばあさんになるのか問題」に直面しているのでは?

 

…。

 

とりあえず言えるのは、どんなおばあさんのことも「お嬢さん」と呼ぶみのもんたは女心をわかりすぎていて何度考えても超優秀。

 

大通公園と道新ホールの話

東京生まれ・東京育ちで、札幌移住後初めての夏を過ごしている夫に「札幌の人はビアガーデン好きだねえ。」と言われました。なんでも、先週は毎日飲み会が入っており、そのほぼすべての会場がビアガーデンだったそうなのです。

ビアガーデンといえば大通公園のものが有名なので、今シーズン一度は行っておきたいのですが、行ったらちょっとしんみりしてしまいそうです。何故かと言いますと、オリジナル・ラブのライブが行われた道新ホールが大通公園に面しているからです…(かなり深刻なたじロス)。

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思い出に浸って泣きそうでプルプルしています。

 

道新ホールというのは道新ビルの最上階にあるホールで、ビル自体は色気も何もない普通の角ばった無機質なビルです。入り口も、青地に白で「道新ホール」と縦書きされた看板がくっついているだけで、派手さは全くありません。

なので、その近くを通るたびに「ここであんな激しいお祭りのようなライブが行われていたなんて…!」と思います。

そして、ライブ前の緊張して胃が痛くなる感じや、開演直前に照明が落ちて真っ暗になったときの心臓が口から飛び出してきそうなほどのワクワク感、一曲目の前奏が始まった瞬間に観客席の興奮が一気に高まったこと、田島貴男さんの歌声が聴こえてきたときに全身に鳥肌が立ったこと、ステージの照明が点いて明るく照らされた田島貴男さんの姿はぼんやりとしか見えなかったことなど、いろいろ思い出すのです。ある曲が演奏されているときに泣いていた隣の女性のことや、まだステージが真っ暗なときに「田島あーーっ!!」と叫んだ男性のことも。

叫び声といえば、東京のライブでは私の右の方から女性の「貴男ーー!!」という叫び声が聞こえました。それも二回。これは勝手な印象なのですが、昔からのファンの方ほど「貴男」と呼ぶ方が多いような気がします。そのため、「貴男ーー!!」とその女性が田島貴男さんの名前を呼んだとき、きっとその方はずっと前から田島貴男さんのことを好きで応援してきたんだろうな、そういう方は今日のステージをどのような気持ちで観ているのだろう…きっと、ファンになって数ヶ月の自分にはわからない境地に達しているんだろうなと考えてしまいました。

活動歴が長いミュージシャンには応援歴の長いファンがついているので、ライブの雰囲気がどこかあたたかいのではないかと思います。実際、オリジナル・ラブのライブのMC中にもそのような空気が漂っていました。

 

あー、たじロスが露呈してしまうのでライブの話は書かないようにしていたのですが、一度書いてしまうとだめでした。いろいろ書きたいことが湧いてきますね。

こうなったら、あえて次のライブのことを考えるようにします!

というわけで。

 

田島貴男ひとりソウルショウ@札幌まで

あと 74 日!(久しぶりのカウントダウン。)

続・バスでの出来事(完結)

昨日の記事(こちらです。↓)の続きです。

butakosan.hatenablog.com

三行でまとめると

「バスの中で大暴れする男児

それをコントロールできない母親

ぶた子、スコップを掴んで注意する」

ということになるのですが。

 

学生時代であれば、

「あのクソガキ、親の言うことは聞かないし他の乗客に迷惑かけるし、ふざけんなよ!」

と怒っていたと思います。青二才ですね。
それが学校を卒業して働き始めて以降は、

「クソガキはクソガキだけど、親のしつけがなってないんじゃないの?」

という見方をしていたと思います。冷たいですね。

そして自分に子どもができ、その子の第一次反抗期も経験した今。

初めて、

子どもは親の思惑通りになんて動いてくれない。あの母親は公共交通機関の中でできることはすべてやって子どもを止めようとしていた。母親を責めるのは酷だ。

そしてあの男児は正直可愛げがなくてイライラするけれど、もしかしたら事情がある子どもなのかもしれない。」

と思うようになりました。


かつては「親の言うことを聞かず他の乗客に迷惑をかける子ども」と「自分の子どものしつけができておらずコントロールできていない母親」という風に子どもと母親を別々に独立したイメージで捉えていたのですが、子どもを持つ母親の立場になって「(どういう事情があるのかはわからないけれど)自分の子どもが今現在コントロールできない状態で暴れており、そのような子どもの保護者としてリアルタイムで非常に肩身の狭い思いをしている母親」という、子どもと母親が相互に結びついた形で捉えることをするようになったのです。

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実際、あの母親は一生懸命だったと思います。男児の態度は怒鳴りつけられたり、あるいはげんこつや平手打ちされたりしてもおかしくないくらいひどいものでしたが、そういったことはせずに、抑えた口調でなんとか言い聞かせようとしていたのです。私には到底できません。
実は、男児のスコップを振り回しての抵抗ぶりや母親を殴る様子、見ず知らずの他人に向かって唾を吐きかける動作をすることから、尋常ならざるものは感じました。ひょっとすると何らかの診断名がつくような子なのかもしれないと思いましたし、ちょうど児童虐待に関する漫画を読んだ後だったので、「監護者から暴力を受け続けた子どもは大人から暴力を引き出す言動が得意で、暴力を振るわれることで安心する。なぜなら、暴力を振るう者と暴力を振るわれる者という関係性しか知らないためである。」(要約)という記述を思い出し、もしかすると誰かから暴力を振るわれていた・あるいは振るわれている子なのかもしれないとも思いました。

 

ただ、それはあくまでも私の頭の中での仮説にすぎず、真相はわかりません。

 

男児がたとえばもし何らかの事情がある子どもだったとしても、あるいは特に事情はなくて普通より粗暴なだけの子どもだったとしても、あのとき私に対して「すみません。」と謝罪した母親に対して何と返事をするのが一番よかったのか…。

「大変ですね」というのは本心ですが、口に出してはいけない気がするし。

「お母さんがんばってますね」では、どこから物言ってんの?というくらい上から目線だし。

無言で怒りっぱなしに見える態度というのは一番避けたいし…。

 

あの母親には、「ひとりで大変な思いをしなくても大丈夫だよ、小さい子どもが言うことを聞かずに暴れだしたら大変だよね、わかってるから大丈夫だよ」という気持ちを伝えたかったのですが、それはとても難しいことだとは思います。

やっぱり、なんともいえない表情で「いえ…」と言うしかなかったのでしょうか。

数日経った今でもわからないのです。

バスでの出来事

先日、ゆきまる(娘・4歳)にくまる(息子・1歳)と一緒にバスに乗っていたときのことです。

 

9時台のバスにはお年寄りの乗客が多く、会話している人はほとんどいません。そんな静かなバスに、40代と思われる母親と、片手に柄の長さが40cmくらいあるプラスチックのスコップを持った5、6歳の男児が一緒に乗ってきました。

バスのステップを上がるときから男児の大声が車内に響き渡ります。静かにしなさいと何度も注意を繰り返す母親。無視するか、「やだー!」と叫ぶ男児

そのうち男児は、『きらきら星』を大声で歌いだしました。英語で。とても良い発音でした。うるさいからやめなさい、迷惑でしょと注意する母親。反抗する男児

車内の空気が緊迫してきます。

 

バスが揺れるので、「空いている席に座りなさい」と母親が男児に言いますが、「やだ」と言ってスコップを振り回す男児。「言うこと聞かないと次のバス停で降りるよ」と脅す母親。無視する男児。本気で降りるはずなどないと見抜いているのでしょう。

ちょうど私たちの前の一人がけの席があいていたのですが、結局そこには母親が座り、男児をその椅子に捕まらせようとします。その手を振り払う男児。車内にはすこしずつ乗客が増えてきています。そんなことはお構いなしに大声を出す男児

空席がひとつもなくなり、通路にも乗客が立ち始めました。狭い通路をバスの後部座席の方に向かって歩いてこなくてはいけない乗客は、通路の真ん中にいる男児を迷惑そうに一瞥していました。

 

母親は力ずくで男児を捕獲し、抱きかかえました。そんな母親をかなりの力で、右の拳と左の拳で交互に殴る男児。それを防御する母親。攻防が繰り広げられる間に乗車した際に取った整理券は床に落ちてしまいます。「整理券落ちてますよ」。私の斜め後ろに座ったおばあさんが声をかけました。「すみません」と言って母親が男児に拾うように言いますが、「拾うわけねーだろ」と答える男児。なんとかして自分で拾った母親。しかし男児から殴られている間にまた落としてしまいました。先ほど声をかけてくれたおばあさんが見かねて拾い、母親に手渡します。母親はすでに余裕がなくなっていて、男児の身体を拘束することに精一杯です。それをわかっているのか、男児は通路の方に身を乗り出し、片手に持ったスコップで、男児に背を向けて立っている女性のお尻を突き刺そうとしています。気づいて慌ててやめさせる母親。暴れる男児。それが数回繰り返されます。車内の緊張感は高まっています。

 

母親が疲れた表情で一瞬窓の外を見たそのときでした。

男児がまたもスコップを女性のお尻に近づけたのです。今度はかなり素早く、勢い良く。

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「危ないよ!!」

 

ハッとしてこちらを振り返った母親は、「すみません。」と言いました。「いいえ…」。大丈夫だあなたは十分がんばっている、わかってる、子どもが自分の手に負えないときがあったって仕方ない、そんな気持ちで笑顔を作ったつもりでしたが、ひきつった笑い顔しかできませんでした。そんな私を男児が睨みつけ、「ペッペッ」と唾を吐きかける動作をしてきます。「注意してくれてありがとうございますでしょ!」と叱る母親。再び唾を吐きかける動作をする男児。私は窓の外を眺めました。

 

バスが目的地に到着し、降りてゆく私たちに母親が頭を下げました。私も会釈しました。

 

 

…という出来事がありました。

 

 

この件については、本当にいろいろと考えさせられました。考えた内容については明日続きを書こうと思いますが、今でさえ、スコップを手で押さえつけた私に申し訳なさそうに「すみません。」と謝罪した母親に対して、果たして何と返答するのが最も良かったのか、それが未だにわからないのです。

 

明日に続きます。