どこまでも果てなく堕落の道を歩みたい二児の母のブログ

ああでもないこうでもないと考えたいろんなことをちょこちょこ記録します。

体操教室へ行った話

ふと気づけば、このブログを始めてもうすぐ3か月が経とうとしています。

1つの記事につき1枚はイラストを描いているので、少なくとも90枚のイラストを描いてきたということになります。短期間にこんなに絵を描いたのは初めてです。

googleで「オリジナル・ラブ 堕落」と、オリジナル・ラブを好きな人ならばおよそ選ばないであろうひどい言葉で画像検索すると私の描いたイラストがだーっと出てきます。もうちょっとした個展状態でさすがに吹き出してしまいました。

ちなみに、私の画像の間にたまに田島貴男さんのTwitterのアイコン画像だとかCDジャケットだとかがちょこちょこ表示されるような状態なのですが、なぜか唐突に笑顔の槇原敬之さんの画像がぽつーんと1枚表示される理由が気になっています。

 

今日はゆきまる(娘・4歳)の体操教室初日でした。

幼稚園で器械体操をする日があるらしいのですが、先生がちょっと怖いのか「明日体操教室ある?あるなら休みたいなあ」と頻繁に言うようになってしまったので、夏休みの間に別の先生に教わってできれば体操の楽しさを知って2学期に臨んでほしいと思い申し込みをした次第です。

コースはもちろん一番初心者向けのものをチョイス。

体育館に行ってみると…

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めちゃくちゃグルングルン回っていました。

私唖然、ゆきまる愕然。

そこへ、とても背が高くて若い男の先生が現れました。

 

私の進路選択の傾向は、運動神経が今ひとつであることから勉強に力を入れる系だったので、己の肉体を使ってご飯を食べている友人というのがひとりもいません。

(実はひとり、勉強に力を入れる系の学校を卒業しておきながら肉体派の消防士さんになって全国大会で表彰された友人がいるのですが、スポーツ系ではないので除外しておきます。)

そのため、スポーツクラブで先生をしている男性を見ると無条件ですごいなという憧れの眼差しで見てしまいます。Tシャツとジャージというシンプルな服装だけれど、雰囲気が爽やかだし無駄のない引き締まった肉体をしているし、最高ですね。(変態ではない)

 

話は戻りまして、ゆきまるの前に現れた背の高い若い先生。

ゆきまるが怯えきって涙目になっているのを見て「だーいじょうぶだって!!」と爽やかに笑い、手をつないでくれたり、高い高いをしてくれたり、頭をポンポンとしてくれたのです。

 

ぐおおー!!

ねえゆきまる。

おかあさんと交代しないかね?(変態ではない)

 

その他の先生も優しい方ばかりで、授業が始まるときには珍しく泣きながら「怖い!怖い!おかあさん!ゆきまるできない!!」と訴えて私のそばを離れようとしなかったゆきまるでしたが、終わってみると「あー体操教室楽しかった!また明日も行くんだよね?」とすっかり笑顔になっていました。

子どものこのすぐに気持ちを切り替えられる能力、「あれだけ泣きわめいた手前、体操教室楽しかったとか言いにくいな…」などと思わない変わり身の早さ、本当に素晴らしいものだと思います。こういうものは大人になる途中でどこかで捨ててきてしまったので、自分もゆきまるを見習いたいと思いました。

 

体操教室は残り4日間。最終日まで笑顔で通ってほしいと思います。

経験と想像力

息子にくまる(1歳)を連れて外出すると、お年寄りが必ず声をかけてくれます。

もう、とにもかくにも愛想のいい子なのです。おまけに、名前が「にくまる」なだけあってちょっとふくよか。

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全身むっちむちで、ムダ毛や吹き出物なしのトゥルントゥルン。特にほっぺに関しては、この世にこれ以上触り心地の良いものはあるだろうかと思えるような感触です。

 

今日も用事があってにくまると出かけたのですが、バス停でおばあさんが話しかけてくれました。

「あら可愛いねぇ、いくつ?」から始まり、「私も子ども育てたし(+孫も面倒見たから、が付け足されることも多。)、昔が懐かしいわ」というところまでは大体どのおばあさんも同じ流れで話が進むのですが、今日の方はこう言いました。

「あなたちゃんと子育てして偉いわね。やっぱり子どもを持たないと人間成長できないわよ。

ここでちょっとイラッとしてしまいました(超短気です)。ですが、私もいい大人です。笑顔で尋ねました。

「何故そう思うんですか?」

「あのね、子どもを育てることで自分も成長した部分があるから。」

「そういう面はありますね。でもまあ、それを子どもを持たない人に言うというのはちょっとできないですね。」

おばあさんがなにか言いかけたところでバスが来てしまい、話は途中で打ち切られました。

 

バスの中からずっと考えているのですが、

①自分は子どもを育てることで成長した部分がある。

②人間は子どもを持たないと成長できない。

これらは論理的につながっていないと思います。

①については正直わかりません。ただ、ご本人がそう感じたということ自体は否定するつもりはありません。

②については言うまでもなく一方的で乱暴な決めつけだと思います。

 

ここで自分自身を振り返ってみると、子どもを育てたことで、子どもがいなかったときにわからなかったことがわかるようになったという面は確かにあります。

たとえば私は小さな子どもが苦手で、理由の一つに「公の場でわめきちらすのがうるさいから」というのがあったのですが、独身時代や結婚後まだ子どものいないときは「母親は自分の子どもが騒いだら100%静かにさせることができる」と思っていたんですね。そして自分が母親の立場になった時に、なんというひどい思い込みだったのだろうと恥ずかしくなりました。

しかし、実際に子どもを育ててみるまでこれに気づけなかったのは、私自身の知識や想像力が足りなかったからだと思うのです。

つまり、子どもという生き物は大人の言いなりになるばかりではないという知識やそれを想像する力があれば、自分が実際に子どもを持たずとも「母親が子どもを静かにさせることができない場面があること」をイメージできたのではないか、そんな風に思います。

 

当たり前ですが、子どもがいても成長しない人はしないでしょうし、子どもがいなくても成長する人はすると思います。子どもを持ったからこそ知ることができることもあれば、子どもを持たなかったからこそ知ることができることもあるのでしょう。

いろいろな生き方があることを認めた上で、自分が経験しなかった生き方から想像力で何かを学び取ることができれば、自分の人生はもっと豊かになるような気がした一日でした。

好きなことと仕事との関係

昨日は千葉県市原市で『ピーナッツキャンプ』というイベントが行われたようです。

そこで、田島貴男さんと小西康陽さんが『夜をぶっとばせ』で一瞬同じステージで共演されたと聞きました。(ファンではない方からしたらなんのこっちゃという話ですね。)

ピチカート・ファイヴといえば小西康陽さんと野宮真貴さんの2人組というイメージを持っている方も多いかと思うのですが、野宮真貴さんの前にボーカルを務めていたのが田島貴男さんなのです。オリジナル・ラブ(当時はラヴ)とピチカート・ファイヴをかけもちしていた時期があるのですね。(後に、オリジナル・ラヴの活動に専念するためピチカート・ファイヴは脱退。)

そして『夜をぶっとばせ』というのは、元々メジャーデビュー前のオリジナル・ラヴがライブで演奏していた曲で、その後ピチカート・ファイヴ時代に小西康陽さんが改めて作詞され、さらに数年後今度はオリジナル・ラヴとしてレコーディングされて1stアルバムに収められたものです。今でもライブで頻繁に演奏される、超名曲です!大好きです!!

夜をぶっとばせ - YouTube

この疾走感がたまりません。この曲を聴きながらジョギングするとどこまでも走っていけそうな気分になります。

ちなみに、ピチカート・ファイヴ時代の『夜をぶっとばせ』は、オリジナル・ラヴバージョンよりも田島貴男さんの声が細い印象です。抑えたボーカルというか。こちらも魅力的です。

それと比較するとオリジナル・ラヴバージョンは、声に男らしさだとか色気が出てきたように感じます。あーやっぱり1st『LOVE!LOVE!&LOVE!』いいなあ…。

 

うっかり語りすぎました。

昨日の『ピーナッツキャンプ』で小西康陽さんがDJをされていたステージで、『夜をぶっとばせ』を選曲されたそうなのです。そして「田島くん来ないかなあ!」と言って観客みんなで大合唱していたところで、最近カメラにハマりまくっている田島貴男さんがもちろんカメラを持って登場。右手にカメラ、左手にマイクを持って一緒に歌われたそうです。(このあたりは全部Twitter情報です。)

その様子がこちらです。

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これを一生懸命描いていたら夜中になっていて、ブログの更新ができませんでした。

 

でも、好きなことに没頭できる時間は幸せです。自分の場合はあくまでも「趣味」として、ですが。

似顔絵や人物のイラストを描くことは大好きですが、これが対価としてお金をいただく「仕事」になってしまうと楽しめなくなってしまうタイプなのです。納期がどうだとか、絶対に似せて描かなくてはいけないだとか、そういう要素が発生した途端にストレス解消できる手段だったイラストがストレス源になってしまうんですね。

たまに親しい人に頼まれて描く分にはもちろん楽しく取り組めるのですが、毎日継続して一定水準以上の結果を出さなければいけない仕事にするのは難しいと思うので(自分の技術的にも、テンション的にも)、個人的にはやっぱり趣味でよかったなあと思っています。

 

先日本棚を片付けていたら、中学2年か3年のときの作品が出てきました。

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北海道新聞の子供向け紙面にイラストを投稿するコーナーがあり、そこに応募してみたら掲載されたものです。これも何時間かけて描いたのか…忘れてしまいましたが、とても楽しい時間だったことは覚えています。

 

かなり長い時間、机に向かって黙々と絵を描く娘(ゆきまる・4歳)を見て、この子にとっても絵を描くことが楽しいものであってほしいと思います。

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悪夢を見た話

随分昔の話ですが、大学院に通っていました。

院で3年間みっちり勉強し、卒業した後で資格試験を受けるという流れになっていたので、まずはきちんと卒業しなくてはいけません。そのため、丸3年間、猛勉強という言葉では言い表せないくらい勉強しました。

朝9時には学校に着いていて授業の予習をし、10時から大体18~20時頃まで授業を受け、その後は23時頃までずっと勉強し続けるのです。基本的には休みなく毎日。そんな生活を3年続けるとどうなるでしょうか。

先日卒業式の写真を見てみると、ストレスで痩せていて身体が薄っぺらいし、顔面蒼白で目は死んだ魚みたいだし、笑顔からは生気が感じられないしでひどい有様でした。当時は全く自覚がなかったことが恐ろしいです。おまけに卒業してから資格試験の受験日当日までの2か月の間に、両目の焦点が合わなくなり文字が二重になってしまう原因不明の謎の症状に悩まされるようになりました。(試験が終わった途端、ピタッと治まりました。)

 

結局、資格試験は一度だけ受けてやめてしまいました。これ以上勉強を続けることは不可能だと判断したのです。

 

…といった、ぬるい大学生活とは打って変わって壮絶な大学院生活を送っていたのですが。

卒業して10年弱が経つ今でも、たまに試験の夢を見ます。

それも、最終的な目標である院を出てからの資格試験の夢ではなく、院を卒業できるかどうかがかかっている最後の学年末試験の夢です。

 

気づいたら教室にいて、どうやら休み時間らしく同級生たちがあの頃の姿のままで近くにいるのに、私はちゃんと30歳を過ぎた現実の年齢でそこにいます。みんなはそのことについて特に不審に思ってはいないようです。手元に視線を落とすと、教科書と参考書、ペンケース、ガラケーが置かれています。同級生たちが周りで参考書を開きながら何やら盛り上がっており、「試験範囲」という単語が漏れ聞こえてきます。「え、何の話してるの?」そう尋ねると、「ぶた子ちゃん何言ってんの、明日から学年末試験じゃん。」と笑いながら返されます。

そこでさーっと全身から血の気が引いていきます。え、嘘でしょ、私もう何年も勉強なんてしてないよ、学年末試験なんて受けたって答案に何も書けないよ。口の中がカラカラに乾いて、心臓が口から飛び出しそうなくらい大きく脈打っています。もう勉強したこと全然思い出せないよ。だって、私もう勉強したこと全く使わないような生活なんだよ。こめかみに嫌な汗が流れます。もう4年くらい専業主婦だし、毎日子どもの相手していて勉強する時間なんて取れないんだよ。

…あれ?

4年くらい、専業主婦?

毎日子どもの相手していて?

…そういえば私いま何歳だっけ?30過ぎたよね?それで、子どもがいて…。

あ、そうか、っていうことは結婚してるじゃん。

結婚したのって卒業した次の年だったような…そっか、じゃあちゃんと学年末試験で単位取れて卒業できたんだ。

あーーーよかった!!

ここで体じゅうに一気に血が流れ、目が覚めます。

 

…といった悪夢を、未だに3ヶ月に一度くらいの頻度で見るのです。余程つらい経験として脳に刻み込まれているのでしょう。ですが、そんな悪夢にもたったひとつだけうれしい特徴があるのです。それは、そのときにハマっている人が登場するということです。今回はこのような感じでした。

 

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クラスメイトという設定なので、「たじまんはさー」とか言いながらとっても親しげに話して盛り上がっていました。実際、大学院に通う学生の年齢は様々だったので、何ら違和感はなかったのです。

ちなみに以前綾野剛さんにハマっていたときには、このような感じの夢を見ました。

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ものすごくナチュラルに勉強を教えてもらっていました。

 

内容的に間違いなく悪夢なのですが、一体誰がゲスト出演してくれるのかという点だけはちょっと楽しみでもあったりします。

堕落の道

先日の記事で、自分がゾンビであったということを書きました。

butakosan.hatenablog.com

ひょっとすると、育児奮闘中の主婦=ゾンビであると受け取れないこともない表現だったかもしれません。そういうわけではなく、自分の頭で何かを考えることをしない状態・自分の心で何かを感じることをしない状態がゾンビであるという意味です。
したがって、サラリーマンゾンビもいれば、子どもゾンビもいると思っています。
ただ、育児をしている専業主婦は置かれた環境的にサラリーマンや子どもよりもゾンビ化しやすいということです。

どういうことかというと、まず専業主婦というのは、他人と関わる機会が多くありません。さらに小さい子どもがいると食事の準備・食事そのもの・外出の準備・外出そのもの・掃除・洗濯などすべてが慌ただしくバタバタしているうちに終わってゆき、気づけば「あ、今日一日子ども以外誰とも会話しなかったな」ということがよくあります。夫と話をしたいと思っても、仕事が忙しくて帰りが深夜になったり、あるいは疲れて帰ってきているのでくだらない話はしてくれるなというオーラを出されたり、夫も自分の時間がほしいのかスマホをいじりながら上の空で生返事をされたりします。(我が夫の名誉のために言いますと、彼はここまでひどくはありませんでした。一般的にこのような夫が少なくないらしいということです。)

他人と話をしないでいると、考えが偏り閉塞的になっていきます。やがて、ああだこうだ考えなくても家事育児は慣れである程度こなしていけることがわかり、自分でも自覚がないうちに考えることをやめています。

こうして文字通り家事育児に追われていると、自分の時間がほしいと強く思うようになりますが、自分を振り返るとその時間は趣味ではなく休養にあてられることの方が多かったように思います。趣味に時間をかけるというのは、心と体がある程度元気でなければできないことのようです。

長らく好きなことをしないといつしか感受性が鈍くなっていき、自分が一体何を好きだったのかもわからなくなってきます。わからなくなっていることすら、わからないうちに。

このような流れでゾンビが出来上がっていくのですが、もちろんこういった状況を苦痛に感じてゾンビとなるか、それとも特に苦痛には感じず楽しくやっていけるかというのは本人の性質次第だと思います。

ちなみに私の母は後者でした。だから自分も大丈夫だと信じたかったのですが、その考えは論理的でも何でもなく、他人と関わるのが大好きな自分には非常に耐え難い苦痛なのでした。

 

 

よく耳にする「親なら子どもが小さいうちは自分のことは我慢しなさい」という言葉は、ゾンビになって頑張る母をさらに追い詰めます。母は息抜きすら許されないのです。自分が何を好きだったのか、それを思い出せるかもしれないチャンスが潰れてゆきます。(我が夫や両親の名誉のために言いますと、彼らはこのようなセリフを私に言ったことはありません。)

 

ゾンビから復活したいと思ったのは、この言葉の意味を考えてみたことがひとつの契機だったかもしれません。

どうして子どもが大きくなったときも私が元気でいるのが前提なのだろう。

もし病気にでもなったら、「あの頃動けるうちに子どもを預けてオリジナル・ラブのライブに行っておけばよかった。」と思うんじゃないか。

別に病気になんてならなかったとしても、あの頃は子どものせいで自由を失ったなんて思いたくない。自分で納得して進んで自由を放棄したのならまだしも、自分以外の誰かの古臭い考え方でそうせざるをえなかったならきっと後悔するだろうし、何より、そのように思われる子どもがかわいそうだ、そう思いました。

 

ブログのタイトルは、オリジナル・ラブのある曲の歌詞をお借りしました。
タイトルに選んだ理由はその曲が好きだからというのはもちろんですが、それだけではありません。
上に書いたように、子どもが小さいのに母親が自分のために時間を使うことを非難する風潮はまだ残っていると思います(特に、子どもを預けて遊びに出かける場合など)。けれど、母親の心の安定なくして家族の心の安定はないと個人的には思っているので、母親の心の安定のために必要なら、たまには自分のために時間を使うことは大いに結構だというのが私の意見です。それを堕落した母親だという人もいるかもしれませんが、堕落上等。ゾンビでいるのではなくきちんと自分のために時間を使って、自分の頭で考え、自分の好きなことをしてそこからいろいろなことを感じたい。だから、堕落の道を歩みたい、という言葉を選びました。

 

私は欲張りなので、タイトル通り「どこまでも果てなく」とはいかなくとも、周りの協力を得られる範囲で最大限に堕落して心の安定を保っていこうと思います。32年間頑張ってきた自分自身のために、それから、大切な家族のために。

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今日から夏休み

昨日がゆきまる(娘・4歳)の幼稚園の終業式でした。今日から長い長い夏休みのはじまりです。

さあ初日をどう平和に過ごそうと思っていると、ゆきまるがテーブルの近くで言いました。

ゆきまる「えーっと。そろそろゆきまるお絵かきでもしようかなあー。

おかあさん、田島貴男さんの写真見せてくださーい。」

先日届いたオリジナル・ラブのファンクラブ会報を見せてほしいと頼まれました。

ぶた子「いいよ。田島貴男さんたくさん写ってるよ。」

ゆきまる「うわあ、ここにも、ここにも田島貴男さんいるよ!このページすごいね、田島貴男さんが5にんもいるよ!!あっこの田島貴男さんないてるよ、何かかなしいことあったの?」

どうして幼児の話し方はミュージカルのように情感たっぷりなのでしょうか。

ぶた子「これは泣いているわけじゃなくて、お歌をうたっている間に気持ちが高まってきてこういう表情になったんだよ。」

ゆきまる「どういうこと?ゆきまるわかんない。」

ぶた子「えーとね…

♪あまい~~、きおく~に~、フェアウェエエル!!」(目を閉じ眉間にしわを寄せて上を向く)

ゆきまる「ゆーきゃ、しー、みー、しぶやあああ!!」(目を閉じ眉間にしわを寄せて上を向く)

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ぶた子「そうそうそう!ゆきまる上手だね!どういうことかわかった?」

ゆきまる「うーん…?」

たった今ふたりで歌ったのは別れの歌です。なので悲しい顔をしてみました。

ぶた子「悲しい歌をうたっているうちに悲しい気持ちになってきたり、うれしい歌を歌っている間にうれしい気持ちになってきたりするっていうことだよ。」

ゆきまる「ふーん、ゆきまるなんとなくわかった!」

それからしばらくの間、母娘で黙々とイラストを描き続けました。完成した作品がこちらです。

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ゆきまるはギターを持った田島貴男さんが好きなようです。

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私が描いたのは最新の田島貴男さんです。(すこしお痩せになったように見えます。)

 

子どもは親が楽しそうに取り組んでいることに興味を持つというのは本当だと思います。我が家は私がイラストを描くことと字を書くことが好きなので、ゆきまるはお絵描きも文字の練習も好きなようです。夫は職場の野球チームに入っていて家の中で投球フォームのチェックをしているので、ゆきまるはそれも真似しています。

ということは、親が楽しそうにお勉強している姿を見せれば子どももお勉強してくれるのかな…?

(ちなみに、自分の親が勉強している姿を見た記憶はありません。父は私が小学校高学年のときにドラクエにハマってひたすらドラクエをしていたので、私はドラクエが大好きです。

ドラクエおやじの記事はこちらです。↓)

butakosan.hatenablog.com

 

勉強は十代であまりしなかった分ハタチを過ぎてからの数年で嫌というほどしたので、もう死ぬまでしたくないと思っていたのですが、子どもが本当に真似してくれるのならば興味のあることを見つけて再び勉強というものを始めてみようかな…なんて思っている今日この頃です。

オリジナル・ラブのライブに行って考えたこと

先日の記事で「オリジナル・ラブのライブに行ってみて、観客のほとんどが自分より上の年代の方たちで驚いた」と書きました。(こちらの記事です。↓)

butakosan.hatenablog.com

 

ライブ初心者の私は、「ライブ」なるものに足を運ぶのは20代の若者がほとんどなのかと思っていました。オシャレな若者たちが「あっ自分音楽けっこう好きっすよ」と言いながら、みんな立ちっぱなしでユラユラ揺れている…そんなイメージだったのです。

このような謎のイメージを持っていたため、先日道新ホールで目にした光景は予想外のものでした。客席に座るのは、自分より年上の、本当に普通の人たちだったのです。そのため、ホールを見回して、「今日は基本は着席して聴いて、激しい曲だけ立ち上がるような流れかな?」と思ったのですが…ライブが始まった直後からその予想は覆されました。普通の人たちが勢い良く立ち上がり、熱狂し始めたのです。

 

つい1年ほど前まで、自分はほぼゾンビでした。

ゾンビというのはもちろん比喩で、毎日幼い子どもたちの世話に明け暮れ、食事を作りゴミをまとめて掃除洗濯をして子どもの送り迎えをして買い物をしてまた食事を作って…といったルーティーンワークに追われるうちに、自分の頭を使っていろいろと思考することも、自分は何が好きなのかということも忘れてしまっているような状態でした。考えることや感じることをせずにただ体を動かしているから、ゾンビです。

 

ある日、子どもを幼稚園に送った帰り道、ふと「私はこのまま年をとっても毎日食事の準備・掃除・洗濯などの今と変わらないルーティーンワークをひたすら、それこそ死ぬまで繰り返すのだろうか。」と思いました。「結婚して子どもができた。家族の世話をすることが自分に求められていることなのだ。私の人生先が見えたな」。そう感じてしまったとき、言葉では言い表せない絶望感に襲われました。

住む家に困っているわけでも、明日食べるものに困っているわけでも、生命を脅かされているわけでもない。そんな自分が今以上のものを望んではいけない。それは贅沢だ。咄嗟にそう自己暗示をかけることで、絶望に飲み込まれないように踏ん張りました。

 

このような出来事があった後に生まれ故郷へ戻ることが決まり、引っ越しの前にまだ自分が妻でも母でもなかった頃の友人たちと会ってたくさん話をし、生まれた街へ戻ってきて、やっぱり自分の生き方をもう一度考えてみようかなと思ったタイミングでハマったのがオリジナル・ラブでした。

 

そして行ってみた、初めて自分でチケットをとったライブ。

そこで大盛り上がりする人たちを見ていると、年をとるってそんなに悪くないんじゃないかなと思えたのです。周りにいたのはきっと普段はそれぞれの役割をこなして普通に暮らしていながら、たまにライブを観に来るという楽しみを知っている人たちです。私もそういう風になりたいと思いました。10年、15年、20年経ったときに今日ここに来ている人たちみたいに楽しく過ごせるように、子どもが小さいうちは自分のことを我慢しなくてはいけないという価値観は捨てて私の人生をすこしずつ取り戻していこう。

そう思ったとき、頭の中である曲が流れていました。

 

“からだの中で 何かが変わる からだの隅々で 古い何かが死ぬ”(『ブロンコ』)

 

 

初めて行ったオリジナル・ラブのライブは、楽しく盛り上がった経験であるのみならず、私にとって非常に意味のある出来事になりました。

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